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活動報告report

 
■■■2017年以前の活動報告はこちら→

色鉛筆訴訟、令和5年3月7日第7回口頭弁論にて弁論終結。次回5月25日に判決。

 令和3年7月30日から始まった色鉛筆訴訟も以降7回の弁論を重ねて、令和5年3月7日の弁論をもって終結。来る5月25日に判決が出る模様です。判決といっても弁護側からするとまだ何も実体的本案審理には入っておらず、中間判決ということらしいです。つまり国側が入り口で”処分性”とかいう訳の分からない理由をもちだして、そもそも奥本君に訴える権利があるか無いかのところでごたごた言っていて、実質的な表現の自由や、人権については次の判決でそこが認められないと先へは進めない(いわゆる門前払い)ということらしいです。弁護士的に表現すると5月25日に訴訟要件を充足するという判断であれば、その旨の中間判決を出し、弁論を再開して実態審理に入る。訴訟要件を欠くという判断であれば、訴え却下判決が下される、ということになります。
 もちろん弁護側は、訴訟要件をクリアするという判決を得て、そこから実態本案審理つまり、作画行為の憲法上の位置づけ、や死刑確定者の憲法上の地位などを争点に本格的に争う構えのようです。もしも却下判決の場合は控訴を予定しているようです。

11月22,23,24,25日”被害と加害を繋ぐ旅”報告

東京からインター7のメンバー、マザーハウスの五十嵐さんと風間さんが来てくれました。4日間の旅の様子を風間さんがまとめてくれています。ちょっと長いですが許可を戴いてここに転載します。

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22日から、大分、福岡、宮崎と移動しながら加害/被害の間の対話について考える旅をしました。

対話は可能なのか、対話を可能にするものは何なのか、司法の場では語り得ないことは何で、そしてその何かを語ることはできるのか、そんなことを考えながら過ごしました。

  お会いしたのは、死刑囚の奥本章寛さんのご家族と、被害者のご遺族のMさん、その間の対話を長年つないできたオークス(奥本章寛さんと共に生きる会)の荒牧浩二さん。また、そのオークスの活動に大きな影響を与えた原田正治さんにもお会いしました。原田さんは、被害者遺族として加害者である長谷川さん(死刑囚)との面会や文通といった交流をし、長谷川さんと対話を重ねるためには死刑に反対であると訴えてきました。その活動はその後、Ocean 被害者と加害者の出会いを考える会につながっていきました。

まず最初にお会いした奥本章寛さんのご家族は、のどかな山間の中にある、自分の祖父母の家を思い出すようなお家の佇まいで、我々の到着を外で待ってくださり、夕飯までご用意いただいて、あたたかく迎えてくださいました。

奥本章寛さんは、色鉛筆で絵を描き、その販売収益を被害者遺族への弁償にもあててきた方です。しかし、ご家族にお話を伺ってみると、鉛筆さえ握っているところは見たことがないし、本を読んでいるところも見たことがないと。ずっと剣道をやって少年時代を過ごし、その後自衛隊に入っていった、わかりやすく言ってしまえば体育会系だったそうです。だから、最初に絵が届いた時には驚いたし涙も出たそうです。こんな絵を描くんだと。

そんな中、法務省の訓令により色鉛筆が使えなくなってしまい、奥本さんは現在、色鉛筆の使用を求めて国に提訴しています。

被害者遺族のMさんが面会に来てくださっていた頃は、償いの相手が目の前に見えていたからこそ、苦しい中でも生きることができていたそうですが、最近ではその交流も途絶えてしまい、さらに色鉛筆も使えなくなり絵が思うように描けなくなり、元気をなくしてしまっているようです。早く死刑を執行してもらいたいというような、そんな章寛さんの自暴自棄にも似た思いを荒牧さんは感じとっているようです。

荒牧さんとしては、なんとか対話をつなぎたいし、これまですぐそばでその対話を見てきても、全然語るべき何かが語れていないのではないか、もっと本音で話してもらいたいけれどそんなことを自分が求めてもいいのか、そんな悩みも伺いました。

死刑囚の支援といえば、基本的には「より長く」生きてほしい、1日でも執行の日を延ばし死刑は回避したいし、その日々は平穏であってほしいと思うものだと思います。ご家族の思いも同じであると想像します。ですが、支援ではなく「共に生きる」ことを考えたい荒牧さんは、奥本さんにその日々を「より深く」も生きてほしいと言います。でも、より深くって何なのか。そんなことを求めていいのか。共に生きるって何なのか、そんな思いがぐるぐるしているようでした。

 荒牧さんと私は、非当事者としての関わりという意味で近いものがあります。私としては、「より深く生きる」というところに文化的な活動が必要だと感じています。

 

翌日のトークイベントでは、原田正治さんも交えて対談をしました。原田さんは、事件から10年が経って、自身の弟さんを殺害した長谷川さんに会ってみようと思い至ったそうです。その10年の間も、長谷川さんから手紙は届いていたものの返事は一度も書いていなかったそうです。

会ってみようとは思ったものの、初めての面会の時には、拘置所の周りを何度もぐるぐるまわって、面会を申請する用紙を記入している時にはその手が震えるほど怖かったそうです。面会を待っている間は、相手にぶつけようと思っていた怒りがあったそうですが、面会の扉があいて長谷川さんの笑顔を見た時には、謝罪の言葉を直接聞いた時には、ぶつけようと思っていた何かはその場では消えてしまい、何気ない話をすることから対話が始まったそうです。

しかし、その何気ない日常的な会話の中に、裁判では語られなかった大事なこともあったと。そういう対話の積み重ねの先に、原田さんがずっと聞きたいと思っていた事件のことを聞こうと思っていたところ、長谷川さんの死刑が執行されてしまいました。

今の原田さんの思いは、決して長谷川さんを許せるなんてものではないと。事件後に原田さんのご家庭も壊れてしまい、何重にも被害にあってきて、そのことを考えたら許すなんてものではないと。けれど、事件のことを話せる相手としては一番の理解者だったともおっしゃっていました。会って話しをしてみないとわからないことがたくさんあると。

被害者遺族で死刑に反対することは、当時各方面からのバッシングがあったそうです。いわば、社会が求める被害者像に合っていないと。聞けば聞くほど、その思いや考えは、社会が容易にわかるほど単純ではないということだけが感じとれます。

その翌日にお会いした奥本さんの事件の被害者遺族であるMさんは、私とも年齢が近い方でした。Mさんは、奥本さんの手により、お姉さんとお母さんと甥っ子さんを一度に失いました。それでも、直後のお葬式に奥本さんのご家族が訪れた時には、車の誘導までして迎え入れたそうです。その後も奥本家にご飯を食べに行ったりと交流もあったようです。

また、荒牧さんがつなぐかたちとなった奥本さんとの面会にも応じました。というよりも、Mさん自身もずっと奥本さんと会いたいと思っていたと。その最初の面会では、「だからお袋には気をつけろと言ったろ?飲みに行こうと言っただろ?」と、伝えたそうです。

というのも、何が真実なのかはわからないですが、奥本さんは義理のお母さんとの関係の中で何かがあり、凶行に至ってしまったようです。そのことはMさんも母親をよく知っているから想像はできると。

だからこそ、なぜこんなことをしたのか、なぜ自分の家族だったのか、奥本さんに問いただしたい思いはありながらも、何度面会に訪れ、手紙でそのことを聞いても、「わからない」や通り一遍の謝罪の言葉でしか返ってこないと。その後面会も途絶えたようです。

何が真実なのかはわからない。なぜなら、奥本さんも被害者の悪口になってしまうようなことを、被害者遺族であるMさんの前では言えないし、裁判でもそのことの多くは語られなかったからです。裁判は基本的には検察が描くストーリー=身勝手な行いだった、として進んだそうです。

一時は奥本章寛さん本人、奥本さんご家族との交流がありながらも、Mさんの親戚や被害者遺族会などが、その様子を見て引き離すような働きかけがあり、交流が今は途絶えているようでした。

今にして思えば、奥本さんの死刑を回避するためのオークスの活動にMさんを結果的に利用するような側面もあったかもしれないと(対話を望む思いも事実だが)、荒牧さんは振り返ります。被害者遺族会も、Mさんを利用して死刑存置派の主張につなげていたこともあり、Mさんは加害/被害の両者に板挟みになってしまったのではないかと。

当時Mさんは、自分の思いはどこで共有できるのか、共有できる相手はいるのか(家族はもういない)、安心して話せる場があるのか、それを求めてその被害者遺族会と関わったそうですが、何か違うと感じたそうです。

そして、自分が受けてきた苦しみは、奥本さんにはぶつけられない。なぜなら、自分が苦しんだことを加害者に明かすことは、何か自分の負けのように感じる、加害者側の思うツボなのではないかと思えてしまう、そんな感覚があるそうです。

 今また奥本さんに面会したいですか?と、M
さんに聞いてみると、「会ってもいい、ただきっと変わっていなんじゃないか」と。

Mさんは、ずっとマスコミの取材も拒否し続けてきて、公には多くを語ってきませんでしたが、最近は本を書いてみたいと言います。それを奥本さんにも読んでもらって、何か応答もしてほしいと。事件からやはり10年という月日が経っている今だからこそでしょうか。まずは、オークスの通信に短くても書いてみようかという話になりました。

対話は可能なのかという問いに対しては、実際に対話をしている人たちがいるので、可能だとも言えそうですが、しかし当たり障りのない会話をしているだけでは、それは対話と言えるのか。加害者/被害者(遺族)という関係がある以上、決して対等な関係になどなれない、互いに言えること・言えないことがある、それでも対話といえるのか。

対話を可能にするものは何かという問いに対しては、一つは「時間」がありそうです。原田さんもMさんもおよそ10年という時間をかけて、対話をしようという思いに至っています。

もう一つには、両者の合意、特に被害者(遺族)側が対話を望むかどうかです。多くは、加害者と会うなんて怖いし、忘れたいし二度と顔も見たくないと思うような気がします。だけれども、決して忘れるなんてことはできないその事件と向き合っていかなければ、その先を生きることができないということもあるように感じました。向き合うことはしんどいからこそ、原田さんも一時は逃げていた時期があったと言います。奈良で考古研究をされていた時期もあるとか。だけれど、その逃げていた時間も大事だったのではないかと私は感じました。その逃げられる場も文化はつくることができるような気がします。

そして、荒牧さんのような、両者をつなぐ仲介者も場合によっては必要かもしれません。原田さんはたった一人で、怖さといくつもの手続き(法務省の妨害)を乗り越えて、長谷川さんとの対話にこぎつけました。ただ、仲介者の勝手な思いにより、両者に生じるズレが時折起こることもまた事実で、その立ち位置は難しいと思います。

そして、司法の場では語られない何かは当然にあります。裁判は量刑を決める、検察側と弁護側の勝ち負けが争われる、そのための手続的なコミュニケーションにしかならないからです(とはいえ、不要なわけではない)。あるいは、時間と共に語れること・語れないこと、人のその思いや考えは変わっていくものだからです。

時と共に変わる思いや考えに寄り添い社会に共有していくことは、オークスのように奥本さんの絵の図録やカレンダーを作っていくような文化の活動のように思います。

原田さんは、「マスコミが大好き。最初は大嫌いだったけど。その影響力の大きさは重要だ。」と、Yさんに助言しましたが、その言葉に驚く荒牧さんも印象的でした。私もマスコミは歪曲して伝えるイメージしかなくちょっと驚き。

Inter7の活動は、本当にこういう出会いと対話の旅のようです。どこに辿り着くかはわかりませんが。Inter7が試みようとしていることを、何とか表現で(映像で)伝えたいとのことなのですが、なかなかに悩ましい。

 


2022年11月、共命鳥25号編集中に重要な”気づき”がありました。

  どんな風に書いて、どう報告すれば良いのか迷っていますが、取り敢えず出来るだけありのままに書きます。
共命鳥には章寛君の連載エッセイのコーナーがあり(『獄に入っては獄に従う』)、その記事は章寛君から事務局への手紙の一部として送られてくる。以前は掲載予定の文章は原稿用紙でそれと分かる形で送られてきていたのだが、何故か原稿用紙は使用禁止となり、手紙の中になんとなく分かるであろう形で送られるようになっていた。それを事務局がパソコンで打ち込んで掲載してきた。通信が発行され、章寛君のもとに届くと、彼から不満や愚痴が届くというのがここ最近の慣例になってしまっていた。何故か?誤字、脱字、行間の空白、余白その他彼の思うような、あるいは書いた通りに表現されていない、だから毎回最悪であり、今後はもう書きたくない、と手紙で言ってきた。聞けば、便せん1,2枚の手紙でも書き上げるのに便箋の束を丸まる1冊使うこともあるという。
「そんな細かいことは気にしないで、もっと大事なことがあるだろう」的なことはこれまでも時々言ってきたし、特に『波紋』を仕上げて送ったときの感想があまりにひどくて、がっかりもし、怒りも覚えて、便せんで17枚にも及ぶ抗議の手紙を書いたこともあった。
 今回の共命鳥連載の文章の場合、どこから掲載すればよいのか当方も判断に迷う部分や、あまりにこだわった字数への問いに困惑し、はっきり言って頭に来てしまった。おまけにもう書きたくないともいうので、どうしたものか、このまま発行停止にしようか…、近々面会に行くとも伝えてあるのに、どう話したものか、等考えているうちに困りきってある人に(二人)相談した。そこで期せずして揃って出てきた言葉が『発達障害』だった。一人の人は(自閉症スペクトラム症)の可能性についても言及した。そうか、そうかもしれない。何もかもがそれで説明できるとも、安易に決めつけていいとも思わないが、詳しくはこれからじっくり勉強したり、研究する必要がある。だが、本人にはどう伝えてどう理解してもらえるか?迷いに迷ったが、面会の折に直接言ってみることにした。面会拒否や、外部交通の取り消し、果ては自殺の可能性まで考えたうえで、すべてのリスクを覚悟して。

 面会の日の様子は『今日の章寛さん』コーナーで。
ただ、多分当日の夜書いてすぐ出したと思われる速達が届いたのでその一部をここで紹介する。
 10日の来訪・面会はお忙しいところ本当に有難うございました。これまでで今回が一番時間が過ぎた気がし、話足りない気持ちです。
 荒牧さんも僕の異常な性格に嫌気が差しているでしょうが、自分でも本当に嫌気が差しています。昨年は、色鉛筆訴訟の取り下げ書を郵送し、その後、外部交通の全部の取り消しや死刑執行上申書を提出しようとしましたが、今でも変わらずにこれらの気持ちを考えを持っているほど嫌気がさしています。
僕が『発達障害?』かも知れないと言われた時、素直に嬉しいような、ほっとしたような気持になりました。外部の人達だけではなく、職員さんにも不快な思いをさせてしまうことがある、この異常な性格には本当に苦しんでいますので。今回の面会では、荒牧さんとももっと意思の疎通を図らなければいけないー、という話をするつもりでしたが、僕の異常さへの興味・・・いや、調査かな・・・で荒牧さんの方から近づいて来てくれた気がします。
 17日に父母が来訪予定で、さっそくもしかしたら発達障害かも知れないーという話をするつもりです。えっ知らなかったの―と言ったりして。
 今回の手紙は郵便書簡で足りるかなとおもっていましたが、まったく足りませんでした。便箋の差し入れを頼むべきだったと思っています。  後略
 以上ですが、特筆すべきは間違ったところを線で消してそのまま書いているところです。4か所ありました。
これまでの手紙では考えられません。まさに、異常な性格?を矯正しようとしてるみたいです。
上記のようなことがどのような意味を持つのかまだきちんと見えてはいませんが、とても重大な意味を持っているような気がします。

2022年7月29日 第36回拡大くるま座として”色鉛筆訴訟”報告勉強会開催しました

 宮崎から公私ともに多忙な黒原弁護士に来て戴いて、色鉛筆訴訟の進行状況や章寛君の最近の様子などを報告していただきました。
今回は、拡大くるま座ということで日ごろのオークスのメンバープラス数名の方が参加されたのですが、岸本さんはじめ3名の方が職場でコロナ陽性の方がでてしまって、いわゆる濃厚接触者扱いなので遠慮する,
という連絡が直前に入って欠席となったのは残念でした。
現在、第5回口頭弁論までが終了し次回第6回は9月13日の予定だそうです。相変わらず入り口の処分性というところで(国の内部の通達にすぎないので章寛さんには訴える権利が無いと主張)、こちら側の質問や主張に国が応えない状況ですが、裁判所もさすがに業を煮やして具体性を促しているらしいです。それは実際に福岡拘置所に色鉛筆の使用を願い出て、どう対応するか試してみなさい、その結果いかんで次の判断をするらしいのですが。裁判所としては、訓告取り消しとなると影響が多方面に大きいのでその判断はしたくない様子。それでは使用が認められても大事な中身である死刑囚の処遇や、憲法との絡み、さらに死刑制度についての踏み込んだ議論にならないので痛し、痒し、悩ましいとのことでした。どうなるか次の国側の回答が焦点ですが、表面的に片づけられそうなら国賠も考えるそうです。9月13日注目です


3月8日第34回くるま座座談会 ”生”で開かれました。

 昨年末の集会以来、久しぶりに実際に集まっての話し合いが出来ました。
色鉛筆訴訟の経過報告その他たくさん報告があって時間が足りませんでしたが一番良かったのは、章寛君のことを中心にして2か月に一回は集まって支援の在り方や、会員それぞれの状況なども話し合える、フランクな空間をもう一度作り直そう、と決められたことです。状況の変化が難しい中、息長く活動を続けるために気張らずにゆるくやっていく必要が私たちにも訪れた、といった感じがします。一般市民の集まりであり、ご両親ご家族も含めて、我々の支援の継続というのは、みんなが同じ目線で何を目指すという決めごとでもなく意見を交換しあうということが大事なのかもしれません。ただのサロン化というのが嫌いなたちですが、そこは奥本章寛という中心の柱がどんとありますから大丈夫でしょう。自己満足ですが温かい空気が流れてました。


2022年3月1日 事件発生から丸12年

3月1日の昼頃、奥本和代さんから電話がありました。宮崎の亡くなられた3人の遺骨や位牌の安置されているお寺からお礼状が届いた、と。以前から話されていた被害者3人の13回忌法要。コロナの影響も考えて残念ながら今回は現地での法要は諦めて、お経をあげていただくお金と供物を送っていたところ、そのお礼と皆さんによろしく、という添え書きがあったそうです。私は娘の高校卒業式や受験、その他ですっかり失念していましたが、ご両親はすべきことをちゃんとされていました。早速章寛君にもそのことを手紙で伝えたり、久しぶりに義理の弟さんにも電話で報せました。以前7回忌の時は義弟さんから法要を一緒にやってくれないかと言われて、福岡から10名以上で駆け付けたのでした。月日の経つのは本当に早いです。最近の心情は良く分かりませんが、義弟さんも元気で頑張っているようで少し安心しました。
 たまたまですが、その日はその後電話が何本もあって事件のことや、章寛君、義弟さんのことをいろいろ話しました。やっぱり何かのお導き?だったのでしょうか?


2月5日 Inter7(新しい会の名称)発足記念対話集会が開催

コロナ渦のため全てオンラインでの開催となりましたが、発足記念対話集会が開催されました。共同代表7名がそれぞれの活動について話しました。最後に今後に向けて共同宣言を出しています.

共同宣言

私たちinter7は、すべての人が個人として尊重される、被害加害を生まない社会を目指して、犯罪によって傷ついたすべての人々の尊厳の回復に向けた活動、すなわち問題解決、情報提供、対話の実践といった支援と社会への発信を続けていきます。

 

阿部恭子(特定非営利活動法人WorldOpenHeart理事長・加害者家族支援団体代表)

荒牧浩二(奥本章寛さんと共に生きる会事務局長)

五十嵐弘志(特定非営利活動法人マザーハウス理事長・受刑者支援団体)

片山徒有(被害者と司法を考える会・被害者遺族)

原田正治(Ocean被害者と加害者の出会いを考える会発起人・被害者遺族)

柳川朋毅(イエズス会社会司牧センター)

弓指寛治(画家・被害者家族)

オンラインでどなたでも参加できたのですが、当方が不慣れで案内できませんでした。
 その日の模様はユーチューブでも配信されているらしいのでそれも掲載の仕方が分かり次第ご案内します。



Inter7犯罪に巻き込まれた人々の支援 結成 オークス事務局長荒牧として参加しました。

被害者と加害者が共に支援「犯罪に巻き込まれた人々の支援」

  1.「犯罪に巻き込まれた人々の支援」結成の経緯

(1)設立経緯

被害者/加害者 とは誰にも起こり得ることである。対立と分断を煽る風潮が強い昨今、犯罪で傷ついたあらゆる人々の長期的支援とすべての人の生命が最も尊重される社会の構築を目指して、被害者と加害者が共に支援を行う組織を設立。被害者/加害者それぞれのフィールドで活動してきた実践者が共同代表を担う。

(2)共同代表7

阿部恭子(特定非営利活動法人WorldOpenHeart理事長・加害者家族支援団体代表)

荒牧浩二(奥本章寛さんと共に生きる会事務局長)

五十嵐弘志(特定非営利活動法人マザーハウス理事長・受刑者支援団体)

片山徒有(被害者と司法を考える会・被害者遺族)

原田正治(Ocean被害者と加害者の出会いを考える会発起人・被害者遺族)

柳川朋毅(イエズス会・社会司牧センター)

弓指寛治(画家・被害者家族)

(3)組織の使命

「犯罪によって傷ついた人々の尊厳の回復と生命の尊重」

(4)活動

 死刑廃止のための活動

 被害者加害者対話の実践

 犯罪で傷ついた人々の支援(情報提供、問題解決、支援金の援助など)

 犯罪で傷ついた人々の包括的支援体制の構築

(5)今後の活動予定

 「犯罪に巻き込まれた人々の支援」発足記念シンポジウム開催

 「被害者加害者対話の実践―対立と分断を超えて」

 日時:202225日(日)14:0017:30 

会場:四谷聖イグナチオ教会内ヨセフホール 

(6)問い合せ:090-5831-0810(阿部恭子)

 

https://www.asahi.com/articles/ASPDG6RQJPDGUTIL01Z.html

https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/148842

 

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61b86520e4b0358b5c4b0aa1

 

 

新聞投稿


2022年1月14日付の朝日新聞に読者の方の投稿がありました。
『色鉛筆負荷の内規 納得できない』という見出しで
法務省の対応について批判する内容でした。

2021年9月以降の総まとめ報告

 2021年の後半は”色鉛筆訴訟”の応援のための集会(12月12日)とそこへ向けての各種準備でほぼ明け暮れました。集会内容を詰めていくにあたって、黒原さん西田さんとの連絡調整、会場確保、チラシ作り配布、宣伝もかねての共命鳥22号、23号の発行、集会に間に合わせての支援グッズ(トートバッグ、カレンダー)作成、集会当日用スライドやニュースフィルムの編集などなど、毎日何かに追いかけられているような、日々でした。それらの努力の甲斐あって、集会自体は結構よかったのでは?と思っています。何より奥本家の関係者10人前後の参加をとても嬉しく思いました
 その色鉛筆訴訟の方は12月14日に第2回口頭弁論が開かれた。今のところ国側との争点は,入口のところで原告(奥本)側に国の内部通達を訴える地位があるのかないのか、(それを処分性というらしい)というところで、ここをクリアしないと、本来の中身であるその通達の取り消しをめぐる、表現の自由や、死刑囚の処遇の話にはならないらしい。次の第3回は3月だということだが、どうやらオンラインになるのだとか!?公開でやって欲しい。まったく。
以上のようなことと並行して仙台のNPO法人WORLD OPEN HEARTの阿部恭子さんからの呼びかけで『犯罪に巻き込まれた人々の支援』(仮)という新しい団体の結成に参加しました。活動の趣旨は
被害者加害者対話の実践 犯罪で傷ついた人々の支援(情報提供、問題解決、支援金の援助)
犯罪で傷ついた人々の包括的支援体制の構築 死刑廃止のための活動があげられています。
 たまたまですが、色鉛筆訴訟の方と同じ12月14日に記者会見が行われて、けっこうな反響があったようです。
詳しくは、内容が固まってきたらまた報告しますが、その関連で2件オークスにも取材依頼がありました。
 2021年末の12月22日には恐れていた死刑執行が3名もの方に行われました。
今年も結局大したことは出来ませんでしたが、引き続き支援や、死刑廃止に向けて章寛君と共に生きていく所存です。来年もよろしくお願いいたします。

8月28日(土)第30回くるま座 座談会開催


8月28日、第30回目のくるま座、開催しました。参加者は奥本夫妻はじめ12名。青木理氏と木村草太氏の対談を1時間視聴して(ユーチューブ版),そのあとすぐに色鉛筆訴訟についてその内容と、意味今後の我々の活動方向について話し合いました。憲法との関係からみた死刑制度。そして今回の色鉛筆訴訟が表現の自由の問題であり人権の問題であるということがみんなの中で共通に認識されたことが非常に良かったと思います。

 今後、裁判を支援するためにも年末に中津市で集会を開くこと。章寛君の作画が困難なため今年は本格的なカレンダーの制作は見合わせてトートバックまたはエコバッグにワンポイント入れたもの(章寛君発案)を制作・販売することなどを大筋決めました。


NEW 2021年7月30日”訓令取消請求”(いわゆる色鉛筆訴訟)が東京地方裁判所に提訴されました。

 この春から模索されていた色鉛筆訴訟がようやく提訴されました。最初は国賠として損害賠償請求を考えていたのですが、個人的なこととしてではなく幅広く賛同を得たい、死刑制度や、死刑囚の処遇の問題、ひいては人権の問題として一緒に考え、運動していくための訴訟となりました。
 正式には”訓令取消請求事件”として東京地方裁判で取り扱われます。
原告 奥本章寛、 原告訴訟代理人弁護士 黒原智宏、同 西田理英
被告 国 左記代表者法務大臣 上川陽子
ということになる模様です。
8月8日に毎日新聞のネット配信記事(有料)でも掲載され結構大きな反響があるようです。オークスとしては新聞で紹介されるのを待ってこのホームページや共命鳥で随時詳細を報告し、裁判の側面援護的活動を開始する予定です。



2021年8月12日 
 このページも1年分の報告が消えてしまいました。今のところヤフーで検索する
「宮崎家族3人殺害事件から学び奥本章寛さんと共に生きるオークス」のページではこの活動報告は残っているようですが、いつ消えるかわかりません。

上記のようなことを気にしながら更新を試みたところ、やはりヤフーでの検索でも一年分が消えてしまいました。
仕組みは私には分かりませんが、どうやら更新すると一年分のデータ(壊れたハードの部分)が消えるみたいです。
先ほど気が付いて、このページの一年分は別のところにコピーして取っておきました。


4月18日、罪を償うとはPARTⅢ 集会報告(共命鳥19号掲載予定から転載)

まさにぎりぎりのタイミングだった。予定が翌週以降だったら、開催を断念していたかもしれない。現在のコロナウイルス感染拡大の状況から振り返ってみても3月に入っていたら賛同は多分得られなかっただろう。とにもかくにも集会は決行された。平野さんには前日、大分県中津市の我が家に泊まっていただき、夕食から約5時間ゆっくり話し合うことが出来た。話は多岐にわたって、私にとっては集会そのものよりも中身は濃かったが、平野さんはその話し合いをもとに講演の内容を大幅に変えて、翌早朝から午前中の時間を使って、パソコンのパワーポイントまで作り変えられた。その作業を終える頃博多から河村氏(当日司会進行担当)も到着して合流した。 すでにコロナ禍の最中でもあって、あまり期待していなかったがそれでも最終的に80名以上の方が参加してくださった。入口に消毒液と除菌シートを用意し、開場までは窓を開けておいた。挨拶に立ってみると半数近くの方がマスクをしておられた。今は当たり前の光景だが、その時は異様な気がした。目一杯のスケジュールだったので、すぐに北陸朝日放送製作のDVD『オウム死刑囚188通の手紙』の上映から始まり、平野さんの講演まで、あっという間の2時間だった。平野さんの講演は、あらかじめ送ってもらっていたレジュメから大幅に変更されていた。なにしろ昨年12月30日に届いたそのレジュメはワードの用紙で11枚に及ぶ大作?で哲学者ヤスパースから仏教における罪と償い、如来や観無量寿経まで出てくる、かなり難解なものだった。私一人では理解不能なところもあって、仏教の勉強仲間の定例会を変更してもらって、一日かけてみんなで話し合ったりもしたものだった。当日は平野さんが大好きだという新実南吉の童話をもとにした、“悪人と善人”の話を中心にした、一見(一聴?)分かりやすい話に変わっていた。もちろんそれは歎異抄にも出てくる悪人正機説的、話でもあったが、乱暴に要約すると我々一人一人が悪人であり、罪人でもある。その自覚の上で、犯罪というものを、その罪を犯した人一人の責任とせず、社会として、今を共に生きている一人として私達も共に考えていく問題として提起されていた。そして、“いのち”というものを深く捉えたうえでの一人一人の生き方についても提起され、なおかつ易しい言葉で語られた(そして、実はとても深い)良い講演だった。(さすがお坊さん、である) 続いて行われたトークセッションについて報告する紙面がつきてしまったが、寄せられた感想の中に、『久々に黒原弁護士の熱弁が聞けてとても良かった』という感想もあったということだけ報告させていただきます。    (事務局)

以上が共命鳥19号掲載予定記事ですが、ホームページは紙面に余裕ありなので、トークセッションで話したかったことのシュミレーション版をここに掲載します。(実際は半分くらいしか出来ませんでしたが)

覚書

○ 死刑制度の是非を問う、ということではなく、あくまでも「生きて罪を償う」という視点から見た時、どんな   ことが考えられるのか?という話し合いを進める。声高に主張しなくても、その帰結として死刑制度は違う(   廃止) という事が感じられる議論にしたい。 

○ 生きて罪を償うことの中身。お互いの実践、そこから見えてきたこと。他人事ではなく(善人意識) 我がこ   ととして考えていく そのための道筋。

○  私達が関わりの中から学んだこと

○ いのち、人が生きる、ということの議論に結び付けていきたい。

シュミレーション

講演を受けて

  井上さん、章寛君はそれぞれ、何を考え、何を望んできたのか、その支援者はなにをどう、うけとめてきたのか? (約10分)

   罪を償うとは?ということについて(約20分)

  関わりの中から学んできたこと 約10分
 いのち、人が生きるという事について~締めに向けて~(20分)

○ いのち、の大事さ、尊厳というのは単独の“いのち”の中にではなくその関係性や時間性(生命の歴史)の中にあるのではないか?○ 亡くなった方の命も、井上さん、章寛さん、そして私達のいのちもそこからもう一度その意味を取り戻せるのではないか?そこに真の意味での償いがあるのかもしれない。

もちろん答えは出ないけれど、そこに向けて共に歩んでいきたいと思います。

以上 シュミレーション原稿をコピーして貼り付けたかったのですが、全然うまくいかないのでなんとか骨子のみ掲載します。

録画してユーチューブでアップなんてことのできる人達がウラヤマシイ!


NEW  4月17日 お詫び

 2月23日の平野さんの講演会の中身について報告を書かねばならない、とずっと思って来ていたのですが、パソコンの不調や、社会のコロナウイルス騒ぎに(精神的に)すっかり巻き込まれてしまって報告が出来ない状態でここまで来てしまいました。書かなければ・・・、でも書けない・・・、書かなきゃ、、、の繰り返しで心理的にも追い込まれてしまって、ページもも開けなくなってしまいました。(実際、パソコンも不調で、、、) いい訳ばかりになってしまいます。これではどうしようもないので、まずはお詫びをして区切りをつけます。気持ちを切り替えて、共命鳥19号の準備を始めましたので、そちらで報告の文章を書いて、それを改めてこちらにも掲載することとしました。お詫び申し上げます。(平野さんゴメンナサイ!)
また、4月8日から福岡拘置所も一般面会が中止されていますが、章寛君の様子が気になるところです。幸い共命鳥用ののイラストや原稿は届いていますし、それを見る限りとても元気そうです。その辺の情報は博多の河村さんの方が早くて正確だと思われますので、今日の章寛さんコーナーに寄稿して欲しい旨、昨日河村さんに伝えました。今のこの時期だからこそ、章寛君の考えていることや受け止めていることを出来るだけ皆さんにお伝えしなければ、と強く思います。反省して気持を入れ替えて再度出直しますので、どうぞよろしくお願い致します。

2月23日 罪を償うとはPARTⅢ 平野喜之氏を迎えての講演会、80名程の参加

準備を重ねてきた平野さんの講演会が2月23日に無事終了しました。報告もすっかり遅くなってしまいましたが、脱力とここにも新型肺炎の影響が多分にあります。もう一カ月前の事になってしまったので、細かい事は忘れてしまいましたが、23日当日の数日前に福岡県内でも初めての感染者が出て、世間がかなり騒がしくなり、『このまま、集会を開催していいのか?」という不安が頭をもたげてきました。思いあまって平野さんに直接お尋ねしたところ(なにしろ平野さんご自身は石川県から新幹線を使って大分まできてもらうわけですから)『やりましょう、覚悟は出来てます。感染しても悔いは有りません』という力強い言葉をもらって、ようやく私も覚悟が出来たというような次第でした。一ヶ月後の今(3月23日)だったら、きっと無理だったでしょう。悪い事に数日前から私自身がアレルギー性鼻炎か花粉症か?みたいな症状もあって、鼻水は出るは、時々頭はいたいはで、もしかしたら・・・という不安もあって、集会終了後も誰かが発症したらどうなるのか?と気を揉んでいました。(言い訳になりますが、この報告が遅くなったのも、その不安が何となく報告をためらわせた感は否めません。)自分自身は楽天的な方だと思うのですが、毎日毎日、コロナ関係の情報ばかり観ているとじわじわとダメージを受け続けているように感じます。
ここから先でもだれがどのように感染するかわかりませんが、少なくともあの日の集会で感染を拡げてしまったという事は無いと思われて少し安心しています。
 ”不安”というものは人を消極的、猜疑的にしますね。ここに一番大きな問題があると思います。今は世界中がこの状態です。こんな時だからこそ、根本的に『何が大事なのか』考える時だと思います。
 畏れを持つこと、謙虚、感謝等の言葉が浮かびますが、考えとしてはまとまりません。
 さて、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、ここからがようやく本題です。


2020年、1月2月の取り組み

今年は、”波紋”の編集準備からスタートしました。正月の1日からほろ酔いとスポーツ観戦の合間に、昔の手紙や初期試料等を引っ張り出して、この10年の歩み的年表を整理し、まとめることをまず一番にやってみました。1月中に大雑把にレイアウトを完成させ、みんなに観てもらい、2月中に版下を完成させ3月に印刷に廻し、4月完成というのが青写真です。2月23日には平野さんの講演会が控えており、その準備(チラシやチケット等)宣伝などにも駆けまわったし、さらに共命鳥18号の発行もどうしてもこの時期にやっておかねばならない、ということで昨日(2月4日)ようやく発送をほぼ終えました。いつも何をやっているのか・・・と呆然とする事が多いが、今年の一月は良く頑張った、と言ってもいいような気がします。多分、年末の執行がとてもリアルな緊張感をもたらせていると思います。1月31日には久々に第28回くるま座も開催して、みんなで意見交換もしました。
このまま気を抜くことなく、23日の集会と“波紋”の完成に向けて頑張ります。

12月の取り組み、今後の予定

ばたばたしているうちにあっという間に年末。今日はクリスマスです。毎年この時期は執行があって不安を感じています。フォーラムからの情報や、今日のある人(福岡のタンポポの会経由)からの情報でも心配な日々です。あと2日、なんとか執行の無い事を祈っています。
 さて、心配や不安はあってもやることをやるしかないので、少しでもこの報告を先へ進めます。
12月も本当に忙しく、あっという間でした。まず共命鳥17号を完成させなんとか皆さんへの発送を完了。併せて緊急カンパ要請もさせていただいて、かなりの額(現在30万円程)が集まっています。すぐにカレンダーが完成したのでこれも販売を開始しました。12月7日、博多で福岡県弁護士会主催の映画とトーク(ライファーズ上映)に参加し、出来あがったばかりのカレンダーを10部ほどそこで販売ささせていただきました。ライファーズはかなり良かったです。中旬からはカレンダーの発送作業を行い、今日現在711部の発送を終了しました。カレンダーの代金として15万円程をさらに振り込んで戴いていますので、トータル50万円くらい集まっています。昨日印刷代を払ってきて現在は25万円くらいですが、今後宮崎の方での販売が順調なら冊子発行のための金額に大分近づけそうです。その間に次の大仕事、10年の歩み冊子の製作の打ち合わせや、方向性、発行の手順などを模索しています。まだ大筋も出ていませんが、なんとか1月中に下準備を整え、2月中には原稿として完成させ4月中の発行にこぎつけたいと考えています。冊子のタイトルは決めました。章寛さん本人の提案で、波紋~奥本章寛と歩んだ10年のキセキ に決定しています。12月8日には黒原弁護士と河村さんにに豊前まで来ていただいて、これまでゆかりのオークスメンバーや同級生の方にインタビュー取材を行い、来年1月5日にはもう一回、8日に来れなかった方々に集まってもらって同様の聞き取りを行う予定です。
 2月23日には平野喜之さん(オウム事件で執行されてしまった井上嘉浩さんを長年支援して来て下さった方、仏教者です)に来ていただいての講演会を開催することを決定し、現在平野さんとメール等で連絡を取りながら、その内容を詰めています。会場を押さえ、宣伝用ビラもほぼ出来上がりました。同時進行がたくさんあって大変ですが1月中に共命鳥18号も発行予定です。
 それもこれも、本当に執行の危機は差し迫っていると感じていて、何としても日弁連の2020年の死刑廃止や、京都で開かれる国連犯罪防止司法会議に期待し、それらに何らか寄与したいという思いです。そこにしか章寛君の生き抜いて償っていく道は無いと思うからです。今が正念場、という思いで取り組んでいきます。

12月8日 2020年版奥本章寛カレンダー完成、発送を始めました。

 急遽取り組んだ2020年版カレンダーがなんとか完成し、発送作業を開始しました。事前に緊急カンパ要請に応えて、カンパ、会費等を振り込んで下さった方から発送し始めました。皆さん経済事情もいろいろおありだと思いますので、無理をなさらないように、というお願も込めて下記文章を添付しています。

奥本章寛2020年版カレンダーについて

 ご協力有難うございます。

奥本章寛さんは豊前市求菩提の出身です。10年前(当時22歳)、宮崎県で重大な罪を犯し現在福岡拘置所で確定死刑囚として、償いと更生の道を懸命に歩んでいます。

このカレンダーは、彼の描いてきた絵をもとに私達『共に生きる会』が製作したものです。

2015年から毎年製作し、一部を被害者遺族への弁済金に充てています。これまでに約300万円を送って来ました。死刑は覚悟したうえで、少しでも罪を償いたいという彼の意志と、『生きて罪を償って欲しい』という我々の思いを形にしたものです。

重大な罪を犯した人間に対しても、その人を殺して(死刑にして)しまってそれで終わりにしてはいけないと思っています。亡くなった命に対して償う事は叶いませんが、それでも生きている限り『償いたい』という思いを持ち続け、生き続けることが、償いや赦し、救いに繋がると思っています。

 今年のカレンダーは新作の絵ではありません。これまで彼が描いた絵を再構成しました。来年の春、10年の歩みをまとめた冊子『波紋』(仮題)を発行するための準備のため、間にあいませんでした。奥本さんは、今懸命にその冊子のための絵と文章に取り組んでいます。その冊子は彼の『更生』を証明しうるものを目指しています。

 彼が『償いの人生』を全うすることにご協力を重ねて宜しくお願い致します。

 2019年12月8日

                    オークス 奥本章寛さんと共に生きる会

                                        事務局 荒牧浩二

追伸

緊急カンパ要請に応えて素早く、カンパ、会費等を振り込んで下さった皆様へ

 今回のカレンダー送付につきましては、すでに料金は頂いているものと考え、適当と思われる冊数を事務局判断でお送りさせていただきました。経済状況はそれぞれ厳しいものもあるかと思いますので、ご無理なさらぬようお願い致します。

本当にいつも有難うございます。

 10年冊子『波紋』発行の暁には、又宜しくお願い致します。


10月30日 宇佐市で山口由美子さんの講演会に参加

 山口さんは2000年5月3日に発生した西鉄高速バスのバスジャック事件の被害者です。17歳の少年の犯行でした。結果的に1人死亡4人重軽傷という事件でしたが山口さんも重傷を負い、亡くなられたのは友人の方でした。発生直後からその少年の背景にはいじめや心の傷があると感じ、この子を殺人者にしてはいけないと感じたそうです。少年には3回面会に行き、心から少年の反省と償い、そして更生を望んでいるようでした。現在はご自身の娘さんの経験や事件の少年の事など併せて、不登校の子どもたちの居場所作りや講演活動をしています。
印象に残ったこととして、犯罪に対しても不登校の子に対しても常にその背景に目を向け、その子を一人にしないという事と(それが居場所作りですが)、じっくり話を聞いて、指導するのではなく答えを自分で出させようとする視点でした。『その人の今と向き合う』『あなたはあなたで大丈夫、私は私で大丈夫』という言葉はオークスでも言うところの『共に生きる』ということと深く繋がっていると感じました。

10月29日 中津市で黒原弁護士、河村さんと打ち合わせ

 常に超忙しい黒原弁護士と会って話をすることは至難の業なのですが、今回事務局の河村さんのスケジュール調整のお陰で、中津市で2時間みっちり話し合う事が出来ました。一番の課題は第2次再審請求が最高裁で棄却されたことを受けて具体的に今後の再審請求をどう考え、どんな内容で提出するかということでした。今はまだ言えませんが安部内閣の新しい法相のこれまでの姿勢から、今年の年末にも執行がある可能性は高いとみて、12月上旬までに第3次再審請求を提出することになると思います。(その後、10月31日に法相は辞任となりましたが)
 その他、今年のカレンダーと事件から10年の節目の冊子をどう作り、いつ発行するかという事、その中身をどうするかというような細かい話まで大体つめました。共命鳥17号も間もなく発行出来ると思いますので、もう少し詳しい内容はそちらでお伝えします。章寛君の絵が死刑囚の表現展で「団らん賞」という賞をもらったことも話題となり、日弁連が死刑制度の道筋を具体的に内閣に提出した事などもあって、希望を持って取り組んでいこう、2020年は我々にとっても勝負の年、という結論にいたり、久々にエネルギーをもらいました。

10月10日~12日にかけて真宗大谷派北海道教区死刑制度問題班の僧侶7名の方々が、視察研 修のため、博多、豊前、博多を訪れそれぞれの場所で、交流を持ちました

報告 その1

台風19号の影響が心配される中、予定どおり14時頃福岡空港に到着。15時半ころには博多の黒原弁護士事務所で黒原さんと面談、その後,夜は一席設けたということで、河村さんも含めて飲み会となったようです。最初は硬い雰囲気もあったようですが、お酒が入ってからはざっくばらんに、打ち解けた集まりになって愉しかったみたいです。
 翌11日にはお昼頃、豊前市のオークス事務所兼カフェにきてくれました。ピザやハンバーグを食べてもらってからゆっくりオークスの活動等御説明しようと思っていたのですが、台風の影響で急遽今日中に仙台まで行かなければならないという方がお一人いらっしゃったので、その方へ向けてという気持ちでオークスの活動の歩み的なことから
取り急ぎ話しました。その方が帰るのと入れ違いに原田正治さんが、奥本和代さんの運転、出迎えで到着しました。
 和代さんがいてくれたので、家族としての気持ちや、地域との関わり、支え合い等の具体的話がたくさんありました。和代さんはじめ家族がどんなふうにその困難やいたたまれない感情を共にしながら今日まで乗り越えてきたのか、改めて聞くと胸の熱くなる思いでした。そして「不幸な事件で現在も苦しく、不安な日々ではあるが、こうしてたくさんの出会いをいただき、たくさんの人の考えや心情に接することが出来てとても有難く思っている」ということとと「章寛は今、きっと幸せだと思う」とおっしゃっていただきました。原田さんにも質問が集中しました。被害者遺族として,何故加害者に生きていて欲しかったのか、「決して許すということがあったわけではないが、そこで”出会う”ということから”対話”が生まれ何かが始まる」という原田さんの信念が語られました。北海道の方々もご自身の死刑囚や未決の方との出会いの前と後では感覚が全然違うという事。想像の領域では相手をモンスター化して想像してしまう、といった体験を話してくれました。どんなことのなかにも実際に出会い、話し合いがあり、相手を少しでも理解することが次につながっていくのだと改めて思います。さらに原田さんや和代さんの具体的話から何のための“死刑”なのか、誰が誰に向かって罪を償い、赦しを求め、社会はそれをどう受け止めていくのか、という深くて難しいテーマが話されました。ここではとてもまとめきれませんが、少なくとも罪に対する考え方として、罰を与えればいい、ということではなく罪を犯した人をもう一度社会に迎え入れて、ともに更生の道を歩めるように努力することが、社会全体にとっても必要なことではないか、何故なら人は誰でも過ちを犯す存在だから、、、という仏教的観点にいたり、そのためにも死刑囚の現在の処遇を改善していく必要等も話されました。夜はオークスのメンバー8名ほどが求菩提の宝寿寺さんに合流して3時間近くの交流と座談の会が持たれました。ここでも僧侶の皆さんからとても貴重な意見や感想をいただきましたが、一度に書ききれないので、翌日の博多での集会の報告と併せて、報告その2としてお伝えします。

報告 その2
 夜の宝寿寺での集まりには、章寛君のお父さんも参加してくれて総勢19名での話し合い、交流の場となりました。なにしろ初対面の方がほとんどで、どう話し合いをすすめたらいいのか迷いましたが、前半オークスのメンバーの一人一人にどんな気持ちでこの活動に参加し、どんな思いで今,関わっているのか、という事を手短に話してもらいました。宝寿寺の坊守さんである美佳さんには事件の頭初からの支援の動きや地域の様子を詳しく話してもらいました。後半はその前半の話を受けて、一人一人の僧侶の方が質問と想いを述べるという形式で話を進めました。詳細は書けませんが、印象的だったことを二つ、三つ。浄土真宗のお寺で話していることと、来て下さっているゲストが全員僧侶ということがもちろんありますが、やはりこの事件には(特に支援する側に)仏教が、特に親鸞さんの教えがキーワード的にあるということ。経緯を省略して伝えるのは誤解をまねきかねませんが、「うちは浄土真宗だから大丈夫」と事件のはじめの頃に奥本のお婆ちゃんが言っていたという、和代さんの発言に一人の方が、「真宗の教えが深く生きている、伝わっている」と感じて感激したという趣旨のことを言いました。奥本家のその感覚は、多分現在の章寛君にも伝わっていることだと思います。さらにそれを受けて別の方が『身近な仏さん」と章寛君のことを表現してくれました。最近の私にとってはまさにぴったりくる言葉で、凄く腑に落ちました。章寛君自身が悟りを開いたり、仏様になった、ということではもちろん無く、事件を起こし、死刑囚として存在し、罪を償いたいと願って生きている、まさにそのことが身近な阿弥陀仏のようにある、といったことだと思います。途中、ある人からの質問にお父さんが「章寛が『池に投げられた小石のようになりたい』と言った、その波紋がこうして北海道にまで伝わって今日のこの場があることが嬉しい」といってくれたことに、私自身は感激しました。今日の集まりもささやかなことかもしれませんが、まさにそんなふうに少しずつでもいろんな人が、いろんな立場で章寛君をとおして何かを感じてくれることを私も嬉しく思います。最後に、住職の哲雄さんが全体を総括して、「一人ぼっちにしない」ということの大事さなどを確認して交流会を締めてくれました。
翌、12日は原田正治氏の「弟を殺した彼,と僕」を原作とした「HER MOTHER」という映画の上映と、監督と原田さんのトーク、という企画の集会に参加するため博多まで行きました。死刑廃止・タンポポの会の「死刑廃止デー」企画でした。
原田さんは北海道死刑制度問題班の人達と一緒に電車で博多へ向かい、荒牧は急遽奥本家に泊まった河村さんを載せて車で博多へ向かいました。(ちなみに河村さんは三日連続の参加となりました。ご苦労様でした)。
会場には70名くらいの方が集まっておられ、オークスのメンバー2名、中津の梶原さん、もちろん北海道のお寺さんたち、それに黒原弁護士も駆けつけてくれました。(相変わらず、超多忙みたいです。)
 映画そのものは私は2度目でしたが、一回目に観た時とは違う感覚もありました。佐藤慶紀監督の話と原田さんのトークも併せて映画の感想を言うと、原田さんの心情の本質的な部分はかなり良く描かれているとは思いましたが、一度観てそれが伝わるか?難しいところもあると感じました。それと映画としても「死刑では誰も救われない」という、真実は再確認させられますが、ではどこに救いがあるのか、希望はあるのか?という感じでその部分は見いだせず、疑問、課題として強く残りました。集会の後半には金川一さんの支援の方とオークスと北海道教区死刑制度問題班の代表の方と3名発言の機会をいただけて有難うございました。
 以上、なかなか濃い3日間でした。

9月7日 くるま座座談会開催しました

第27回 くるま座座談会         レジュメから

            2019年9月7日

● 一般社団法人オークスの解散の経過と現状

 解散登記の終了、清算完了までの道筋

 新しい会 「オークス 奥本章寛さんと共に生きる会」8月1日設立

 会の新体制  当面代表は置かず、事務局3名体制 新事務局 荒牧浩二 河村奈津代 荒牧美智子
他会員、規約はほぼ“奥本章寛さんと被害者家族を支える会”の時のものを継承

 ●東京、8月31日 死刑をなくそう市民会議 設立集会参加報告 (宮崎さん、岸本さん参加)
 宮崎さん報告と死刑制度をめぐる現状認識
● 今後のオークス活動予定
10月10日、11日、12日 北海道浄土真宗死刑廃止班の方々7名 来豊
   11日 昼ごろ求菩提到着 卜仙の里宿泊
 お昼 ティアーズで食事 荒牧経過説明等面談 夜、宝寿寺にてオークス、原田正治さんと交流会
 12日 博多 HER MOTHER上映会 参加

●10月30日14時~ 宇佐市四日市別院にて  佐賀バスハイジャック事件の被害者の方の講演

 ●年末又は年明けに平野喜之さん講演会企画
 DVD上映とお話。日程案①12月15日又は22日(日)② 1月19日又は26日(日)

●大きな方向性として

*この10年間のまとめになる冊子の編集、発行、販売再審請求の証拠資料となるような。

*オークスとして違う分野でも 映画会、お話会等の企画他

以上のような内容で話し合いを持ちました。
東京での死刑をなくそう市民会議に参加した宮崎さんの報告から、死刑制度を失くしていくこと


8月21日 面会にて。

 今日は朝6時15分に家を出ました。昼過ぎまでに帰ってくる必要があったからです。本当は6時に出るつもりでしたが、15分遅れてしまいました。結果的にはこの15分の遅れが1時間以上の遅れになってしまいました。峠越えの渋滞にはまり、累積30分の遅れが、面会室での1時間待ちに繋がってしまいました。ちょうど9時に着いたのに、面会の順番は10番。しかも13番まで呼ばれるのに、10番はなかなか呼ばれず、まさか何かあったのでは?と心配し始めたころようやく呼ばれました。10時を10分過ぎていました。面会が混んでいたいたにもかかわらず、「今日は20分です」、という章寛君の声になんとはなしの緊張がほぐれます。何か変わったことは無い?という私の質問に、「少し風邪気味です」「台風が来て、涼しかった日の朝、寝冷えしたみたいです。でももうほとんど大丈夫です」。
 ここで気になっていた質問。「この前ここでも執行があったけど、大丈夫?変わりない?」には「執行よりソフトバンクが千賀で9点取られて負けたことの方がショックでした」という答えに安堵して、そこから野球ののはなしで花がさきました。7時半になると地元RKBの放送が始まり、9時まで聴けるそうです。多分翌朝の新聞でいろんな情報を集めているみたいで、すっかりホークス情報通になっている章寛君です。相撲はもちろんですが、野球放送が日々の愉しみとしてすっかり定着したみたいです。毎日同じように野球をチェックしながら夜の時間を過ごしているのかと思うと、なんだか嬉しくなります。ささやかなことですが、こんな時間が大事なんだろうと思います。
今年度まとめる予定の10年冊子の話や、その前に、出来たらクリアファイルを作ろうか?といった話もして一寸だけゆったりした気持ちで面会室を後にしました。

6月から8月にかけてと章寛君への手紙

 法人の解散手続き等に手間取ってバタバタしているうちに、あっという間に7月が終わり、8月も中旬、お盆を迎えています。この間、共命鳥16号の発送を終え、7月28日には袴田さんの映画と講演の集いに参加したりしてきました。章寛君からも手紙が届き、共命鳥が無事手元にそのまま届いたことが確認出来てほっとしています。7月28日の集会に参加しての感想は、冤罪事件の酷さと、検察、裁判所への怒りはもちろんのことですが、全体的印象として死刑の執行ということに関して、この国の現在の状況からして、希望的、楽観的観測はゆるされないのではないか、ということでした。それはつまり、章寛君に関しても全く楽観は出来ない、むしろいつ執行があってもおかしくない、という危機感と恐怖感を感じました。そんなことを感じて帰って間もなくの8月2日に2名の方へのの死刑執行がありました。元号が変わってから初めてであり、2020年東京オリンピックまでは執行は無いのではないかという、それこそ希望的観測があっただけに、又事務局もなんとなくそれをそういうことだろうと楽観的に安穏と構えていただけに衝撃的でした。もはやどんな希望的観測も許されません。
 そんな状況だという認識と、だから、何をどう出来るのかということを自分自身整理するためにも、と思い章寛君に手紙を書きました。長くなりましたので一部抜粋してここにも掲載します。

 
拝啓 奥本章寛様

 

毎日、熱い日が続いています。元気ですか?暑いのは好きだと手紙に書いてありましたが、この暑さは限度を超えていませんか?私はこの暑さの中連日植え木の手入れ、草刈りと外作業が続いていて、少々ばて気味です。家に帰ってから飲むビールと野球観戦が楽しみです。(今日はようやくロッテに一矢報いました) 従って夜は何も出来ず本を5分くらい読んだら、バタンキューっていう生活スタイルが続いています。その代わり、朝は5時頃目が覚めるので、そこからの2時間が本当に貴重な2時間になっています。

さて、そんなだらしのない私も先日の執行のニュースはショックでした。河村さんもショックは大きかったみたいで、電話で少し怯えている感じでした。昨年のオウム関係の執行等踏まえ、2019年から2020年トウキョウオリンピックまでは大丈夫だろうと何となく思いこんで、安心していました。もはや、どんな希望的観測もあてにならないということだけははっきりしてしまいました。

章寛君は大丈夫ですか?

幾ら覚悟は定まっているとはいえ、気持ちの中に影を落として当たり前です。それでも章寛君のことだから、泰然自若の精神を貫いていることでしょう。

私はあせるばかりで、やっていることといったら生活費をかせぐために、ただひたすら仕事をこなすため、あくせくするばかりです。(それでも家族の生活を守るという意味では大事なことだけどね)

出来ることややれることは限られている中で、お互い、今何を大事にするのでしょう。これも章寛君の中ではきっと定まっていると思います。問題は私(達)の方だろうと思います。

もう一度繰り返しますが、どんなにあせろうが騒ごうが私達に出来ることはかぎられていて、その状況の中で何が出来るのか、何を大事にしなければならないのか、今、必死に考えています。(というのも、このところ、公私ともども落ち込むことが多かった)

死刑制度の問題に限らず、今の世の中や、今という時代は、本当に悲しくなる事件や出来事が多く、世界の指導的立場のリーダー達は、それぞれが、自国の利益ばかりを考え、一人一人の命や一人一人の人間が大切にされない、そんな世界に向かっているとしか思えません。人々は不安や恐怖を日常的に抱え込んで、そんな自分を守ろうと必死です。何時の間にこんな時代になったのかと、暗澹たる気分の日が多い今日この頃です。そんな気分を、野球やビールで紛らわせていると言ったら大袈裟ですが、心が小さく萎縮していると感じます。

  そんな時、こんなたとえ話を目にしました。「ハチドリのひとしずく」という話です。
 森が燃えていました。

森の生き物たちはわれ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、火の上に落としていきます。
動物たちはそれを見て「そんな事をしていったい何になるんだ」と笑います。
クリキンディはこう答えました。
「私は、私にできることをしているだけ」
辻信一さんという方の監修の本の中にある一節です。

  というわけで、今の絶望的な状況や、気分の中で私にできることは何かという事を考える時、とても刺激され、勇気づけられる例え話です。

そんなことを考えている時、うちの連れ合いさんが、

「私もオークスの活動を手伝いたい」、ということと、オークスの活動の中身を少し拡げてはどうかと提案してくれました。

この夏は、障害者関係の映画や、原発爆発後の福島のこと、夢にまっ直ぐ向かい続けて牛の獣医さんになった少女のこと、東チモールという小さな国の独立と、その後の苦難のこと、さらに沖縄で闘い続けた人のドキュメンタリー、等たくさん映画を観ました。共通するのはどの人も苦難の中でも一生懸命生き抜いている、ということでした。

そんな映画に刺激されたのか、うちの連れ合いさんも

「オークスの活動は章寛君の支援だけど、そのことの意味から言っても、章寛君の思いから言っても、一人一人のいのちや生きることの意味を大事にするような活動を、ささやかでもいいから、皆に提案し、一緒に考えていけるような活動をしてはどうか?」という提案でした。私も時代の空気を読んで諦め気味の日々にもんもんとしていたので、良い提案かもしれないと思いました。

どう思っても、出来ることと出来ないことがあるということ。そこを見極める中で出来ることを少しでもやろうと思います。具体的には今年の一番の目標は、「オークス 奥本章寛さんと共に生きる会」として 

事件後のこの10年の歩みをまとめること。それが『更生の可能性』という事を証明する様なものになるように。次の?(次の次?)再審理由は更生の可能性ということでやる、という黒原さんの思いに応えるためにも。

支援活動でいま私が出来ることは、というかやらなければいけないのはこれだと思っています。死刑制度そのものや再審そのものは私には出来ませんし、M君のこともお金を送る以外には今、現実的に関わるのは難しいです。(状況が変われば別ですが・・・)

もちろん、面会、共命鳥、ホームページでの報告等はこれまでどおり続けますし、付随した活動もこれまでどおりやります。

オークスの活動になるか、荒牧個人の活動になるかはこれからですが、章寛君のことや死刑制度にこだわらず、いのちについて、特に一人一人を大事にしていくために必要で出来そうだと思う事は特にジャンルにこだわらず、やってみようと思います。

小さい規模の映画会やお話会。ワークショップ。特に若い人たちへ向けて。それをオークスという名前で主催しようと思います。そこから逆に章寛君支援に繋いでいくことも出来るかもしれません。実感として、死刑制度や死刑囚の支援ということでは間口が狭いという感じで、どこから入っても罪を償って生きようとする章寛君の思いに寄り添う、共に生きるということになれるよう頑張ろうと思います。

もし一つでもそういう事を実践出来たら、章寛君にも知らせますので、その事に対して章寛君なりのコメントをくれれば嬉しいです。

 ちなみに824日は「道草」という重度の知的障害を抱える人の自立を扱ったドキュメンタリー映画の上映会をします。常盤先生の協力で実現しました。その中にはあの相模原事件で襲撃され、かろうじていのちの助かった障がい者の方とご両親も登場します。

 話は戻りますが、うちの連れ合いさんは正式に事務局に入ることになりましたので、当面事務局は河村さんと荒牧と、荒牧美智子さんでやることになります。この次やるくるま座でほうこくします。 812日。

昨日矢鳴さんところで飲んで車を置いて帰ったので、今朝は朝5時頃起きて、歩いて宝寿寺まで行きました。(中畑から)
気持ち良かったけど、結構疲れました。それからピザを焼いてさっきまでがんばりました。そうそう、昨日はある人とヂュオを組んで、ギターを弾いて、大きな声でたっぷり歌わせてもらいました。そんなこんながあったり、阿弥陀仏を思ったりして(唐突ですが別件で阿弥陀仏をとても身近に感じることももありました。)

私も死ぬまで自分といういのちを一生懸命生きるのみです。

本当にだらだら書いてきました。。どちらかというと自分の気持ちに整理をつけるためだったようです。暑さまっ盛りで大変だと思いますがくれぐれもお身体ご自愛ください。

今日もホークス勝ちますように!

812

                                荒牧浩二


6月11日付で一般社団法人の解散が登記されました。

 お役所関係の事務手続きは煩雑で分かりにくく、事務局も悪戦苦闘中ですが法務局で確認したところ、履歴事項全部証明書に6月11日付で解散と登記されていましたので、一般社団法人オークスは正式に解散となりました。残務処理にはまだ時間がかかりそうですが、それと並行してこれまでの活動を継続するための新しい会を立ち上げます。会としての体裁が整いましたらこのホームページや共命鳥でお知らせ、ご連絡いたします。死刑廃へ向けての運動や支援活動は待った無しなので、とにかく頑張っていきます。


5月理事会、総会を開いて一般社団法人としての解散を決議、6月7日法務局に申請受理されました。

法人設立以来、公益社団法人への移行を含めて頑張って来ましたが、時間の経過とともに、財源の欠乏(税金の負担等)と事務局が機能しなくなったこと(各個人の多忙)、税務署関係の書類の煩雑さなど相まって一般社団法人として活動することの困難を感じてきていました。3年で閉じるのは残念ですし、見通しの甘さを痛感しますが、これ以上は無理と判断し理事会、総会で解散を提案し了承されました。それを受けて書類を整えて法務局に申請。6月7日に受理されました。まだ税金等残務処理が残っていますが、それを片づけながらもう一度任意団体として形を整えて、活動を継続していきます。共命鳥16号でもう少し詳しくお伝え出来ると思いますが、活動は新しい団体にほとんどそのまま引き継ぎたいと考えています。形より中身を大事にして再出発したいと思います。ご理解いただいて、今後もご協力宜しくお願いいたします。

5月13日、面会および原稿用紙発送不許可問題について

 共命鳥16号用の原稿とイラストを章寛君が失念していた、ということから今回の問題は発生しています。16号は4月上旬、春号として発刊の予定だったのですが、めずらしく章寛くんがこれをすっかり忘れていて、あわてて原稿用紙を取り寄せてイラストと共に事務局宛に発送しようとしたのが4月中旬頃だったと思います。4月23日の消印で原稿在中と書かれた封書が4月24日ころ届きました。しかし表紙用のイラストは入っているのですが原稿はありませんでした。おかしいな、と思い博多のKさんに事情を伝え急ぎ面会に行ってもらったのが4月26日。どうも、発送不許可になったらしいということ。理由は”外で支援者が発行する冊子に掲載することを目的にして、原稿用紙で発送すれば、外部交通を制限している意味が無くなるから”ということを章寛君本人に伝えられたらしいということでした。4月になって、担当係官に異動があったらしいということも併せて聞きました。こちらとしてはぎょっとしました。担当者が変わって、今までOKだったものが、急に不許可になるとしたらあまりに理不尽ではないか。しかもその考え方が拡大していけば、今度は出来上がった通信の差し入れも難しくなるのではないか?章寛君と社会を繋ぐか細い糸が断ち切られ、さらに孤立した状態を招くことになるのではないかと危惧しました。どう対応すべきか、中津の梶原さん、京都の平野さんなどこれまで死刑囚を支援してきた方々に連絡し意見を聞くなどしたあと、急いで黒原弁護士に連絡を取り、事情を伝えた上で「拘置所側の意向を確認して欲しい、こと、必要なら判断の撤回を求めて拘置所側と交渉したいが、そういうことをしていいかどうかか章寛くんに確認して欲しい」という旨伝えました。
それが連休直前だったため、10日間何も手が打てず、Kさんが面会に行ってくれたのが5月8日頃で黒原弁護士が面会できたのが13日。さらに14日Kさん、15日事務局、16日ご両親、と面会が続きました。一連の面会で明らかになったのは、やはり発送不許可の理由は前述のとおり拘置所の判断で外部交通の制限に抵触するということのようです。弁護士は拘置所側に直接確認はせず、章寛君との面会で確認したということと、今回は拘置所の判断に従うというのが二人の出した結論でした。事務局としては拍子抜けというかがっかりしたというのが正直なところですが、二人が面談の上出した結論であるならまずそれでやってみるしかありません。章寛君は事務局やKさんに手紙を書き、その中から必要そうなことを抜粋して事務局が章寛くんの伝えたいこととして共命鳥に掲載するというかたちでしょうか。せっかく本人が自分で書くエッセイとして定着してきていたのに残念ですがやむを得ません。その共命鳥が差し入れできるかどうかはやってみないとわからない。もし駄目ならその時はその時考えましょう、ということのようです。どうしてそこまで外部や、社会との連絡を制限しなければならないのか、死刑囚の人権というのは無いに等しいのか!?何の意味があるのか?疑問や怒りでいっぱいですが、とにかく出来ることをやるのみですので、まずは春号と夏号の合併号を7月までに発行する、ということを目標にがんばります。


4月10日 面会後の章寛君への手紙

拝啓  奥本章寛様

4月11日、面会に行った翌日に書いています。(めずらしく早いでしょう)

この間、連絡の行き違いや、平野さんからの伝言の伝わらなさなど、いろいろあってやきもきしてきましたが、昨日の面会で大部分がはっきりしてとても良かったです。ただ、必要なことと一応確認の意味もあるので昨日話したことをおさらいしてみます。まず、私の新しい住所は ・・・(略)

章寛くんの方から拘置所の方に申請よろしくお願いします。

 次にMさんへの送金、宅下げの関係での私からの現金差し入れの日程の件ですが、昨日2万円差し入れたのが、5月分ということで、4月分はKさんが8日面会の際に立て替えて差し入れしてくれたものということでいいですよね。私の次の面会は5月の24日までに行って、そのとき6月分2万円を差し入れます。今後その方式で翌月分を差し入れるということでいいですね。面会の後、Kさんと会ってそのことを確認するとともに、立て替えてもらった2万円と章寛くんから宅下げの2千円をKさんに渡しました。Mさんへの送金はKさんに宅下げして、お願いするということですね。

 平野さんからの伝言とその感想が私にとっては一番の気がかりでした。まずは無事に趣旨が伝わったみたいで良かったです。『特別目新しいことはなかったですね』という言葉には正直驚きました。私自身は我々の活動や章寛君のことを誰かが誰かに伝えてくれて、それが少しでもその人の役にたっているということがすごく嬉しかったし、何より章寛くんの償いのひとつに繋がっているということが感じられて励みになりました。平野さんの言っていることも確かに目新しくはないかもしれませんが、深い内容をさらに深く表現していると感じます。“くるま座”でみんなで読んで学習、討論してみたいとさえ思っています。目新しくなかった、というのは章寛くんの中では、それがこれまで考え、ずっと意識してやっていることだからですよね。面会の後半で話したことでそのことがよくわかりました。

自分は死ぬ時に、自分はよくやったと思えるように、そして自分の人生全体を受け入れ、自分自身を受け入れて死にたい、というあの言葉を直接聞けて嬉しかったです。

“生きることは行動すること”という言葉にも感銘を受けました。一般的に聞いていれば“ふーん”で終わったかもしれませんが、章寛くんの口から章寛君の現在の境遇からその言葉が出てくるということは凄いと思います。面会の時思わず、素晴らしいと言ってしまいましたが、本当にそう思います。罪を償う、ということは無いのかもしれませんが、そのことに向かって最後まで生き続けたとしたら、(平野さんの言葉を借りれば)それは本当に本当に人間らしい生き方であり、人間を越えた何かによって、きっと赦され、救われる道だと私は信じます。私自身も罪深い人間ですが、そうありたいと願います。

面会の最後に『行動する』という意味で『俺たちはよく頑張ってるよ』と言ったのも私の本音です。お互い表現することが苦手で下手くそだと思いますが、(今のところ)(笑)限られた条件の中でこれまで、ずいぶんがんばってきました。誰もそう認めてくれなくても、私はそう思います。これからも死ぬまで(どっちが先になるか分かりませんが)(笑)一生懸命生きるのみです。

その意味でも今年はこれまでの10年分の歩みを章寛くんの絵を中心にまとめてみたいと思っています。面会時に伝えたように黒原さんも賛同してくれました。もしも第3次か第4次再審請求が《更正の可能性》、ということで請求を提出するのならその証拠資料とも成りうるように編集したいと思います。

文章は苦手、なんて言ってられません。是非過去のことでも、今の心境でも、章寛君を表現してください。再審請求は別としてもきっと社会になんらか伝わり誰かの役にたつものにしましょう。それも償いの一つだと思います。

行動しましょう!

以上、面会時に話したことの繰り返しでしたが、こうやって書いてみると最近の私のガサガサした気持ちがかなり落ち着いているように感じます。有り難いことです。

 住所の変更届が急務だと思いますので、今日はこの辺で。 また連絡します。

しばらくは過ごしやすい時期だとは思いますが、くれぐれも身体に気をつけ、運動もして、ご自愛ください

2019年 1月28日 平野喜之氏を囲んで 第25回くるま座開催しました

 昨年来、親交のある「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会の平野喜之氏を、求菩提の宝寿寺に迎えて「拡大くるま座」として25回目のくるま座を開催しました。
前々から雪が降るのではとかなり心配しました。(求菩提は雪が降るとなるとかなりの積雪が予想されるため)
案の定26日には寒波が襲来して、15センチ程積もったようでしたが、27日が晴天で道路の雪は完全に溶けていたので無事当日を迎えることが出来ました。
 平野さんはここ3年ほど、大分県宇佐市の勝福寺さんで報恩講の講師として毎年お話をされていて、26日の昼の部のお話を事務局(荒牧)も聞きにいきました。講話後、勝福寺の住職藤谷さんも交えて親しくお話させていただきました。28日のくるま座にはその藤谷さんが車で同行して下さり、くるま座の始まる前にはスタジオオークス、ならびにティアーズカフェに立ち寄って下さり、ピザを食べていってくれました。
 当日の会は平日の昼間ということで、奥本さんご夫婦は参加出来ず、又黒原弁護士も参加予定がキャンセルとなり残念でしたが、博多から、弁護士事務所のKさんも駆けつけてくれたり、荒牧の仏教勉強会の仲間3名も来てくれて総勢13名でたっぷり話し合いました。前半2時間を平野氏がパワーポイントを使って、オウム事件そのもの、井上嘉浩さんの支援活動と、その罪の償い、等を簡潔にきっちり話してくださり、後半2時間を奥本君の支援や問題点、課題などを話し合いました。内容がたくさんありすぎて報告困難ですが、そして話せば話す程、問題が重層的で良くわからない状態に陥ってしまいましたが、非常に中身の濃い話し合いだったと思います。一番の中身はやはり罪を償うとは?ということでしょうか?オークスのメンバーにとってもとても刺激のあるくるま座になったと思います。(白熱して予定を1時間もオーバーしてしまいました)
平野さんには夜、中津市の荒牧の自宅に泊まっていただいて、Kさんと荒牧の友人村上氏(耶馬溪厳浄寺住職)にも加わってもらって、10時過ぎまで飲みながら楽しく座談をしました。昼、夜を通して裏話的話がたくさん出てきて、考え込んでしまうような場面が多かった印象ですが、これまた中身の濃い話となりました。なんとなくオークスがやるべき方向や形が整理されてきたような気がしています。
翌朝は平野さんの読経で目がさめました。(実は私はその後サッカーのアジア大会イラン戦を観ていました)
 嬉しいことに、平野氏がオークスに会員として参加して下ることになり、今後の新しい会との協力も約束してくれました。又平野さん達の新しい会の創刊号への原稿依頼もうけましたので、(3000字~5000字ということです)その原稿の中で是非今回の話し合いを通して考えた事などを整理して発表したいと思います。

12月10日 第24回くるま座座談会 開催しました。

 天気や寒さが心配でしたが、岩屋のオークス事務所で集まりました。当日は奥本夫妻、野中夫妻、矢鳴夫妻、福田さん、荒牧といったメンバーでした。宮崎さん、岸本さんは当日は都合が悪いということでしたので10日に1時間だけ豊前市内で事前に必要事項だけ伝えておきました。
内容としては、再審請求が棄却されたこととそれを受けて第2次再審請求を提出したこと。加害者家族支援について。井上嘉浩さんの支援グループ事務局の平野喜之氏についてとその通信『悲』の一部読みあわせ等でした。
この日の一番のトピックは第2次再審請求の内容との関連も含めて、宮崎のMさんはどうしているだろうか、元気だろうか、と話が盛り上がっている、丁度その時にMさんから電話がかかってきて何人かが久々にMさんと話したということでした。22日、23日には事務局が宮崎を訪問してMさんと会う予定にもなっているのですが、彼の現在が心配でもあり、愉しみでもあります。
第2次再審請求の内容と今後の見通しなどについても話し合ったのですが、そのことについては23日の宮崎訪問後に詳しくお伝えしようと思います。
加害者家族支援、というのは突然のようですが、実は去る11月21日に仙台で加害者家族支援をやっている、NPOワールドオープンハートの代表阿部恭子氏が映画監督の長塚さんと一緒に豊前を訪れてくださり、奥本夫妻と事務局、それに矢鳴さんとでいろいろ話し合ったのでした。その中での具体的な提案として今度12月22,23日に熊本である加害者家族の自助会的な集まりに奥本さん夫妻が参加するということがほぼ決まった、ということの報告でした。まだ詳しくは書けませんが今後、オークスにとっても大事な課題になっていくような気もします。

12月3日  11月28日付けで最高裁、章寛さんの第一次再審請求を棄却
       今後の対応協議のため黒原弁護士と面談

 12月2日の夜黒原弁護士からメールが届いていました。内容は、11月28日に最高裁で第一次再審請求が棄却されたという通知があった。第二次再審請求を早急に出すべきか、否か迷っている。ついてはオークスの皆さんの意見も聞いたうえで5日に章寛君と面会して決める、といった内容でした。今年になってからの死刑執行では再審請求中の方や初めての再審を準備中の方まで執行されてしまいました。12月に関しては我々もかなりの危機感を感じています。数人のメンバーやご両親に連絡を入れたところ、皆さん再審請求を出して欲しい、1ミリも悔いを残したくないという意見でした。
 連絡を取り合って黒原さんが博多、大分を往復する(事務所から刑務所)電車で合流するという段取りをつけてソニック車中で会い、話し合いました。結論としては大急ぎで第2次再審請求を準備し12月の出来るだけ早い日に提出するということになりました。死刑制度全般の動きや日弁連、法務省、ローマ法皇の動きまでいろいろ教えてもらい、来年以降にはかすかに希望が持てそうな話も伺いました。なんとしても12月を無事に乗り切りたい思いです。

10月15日Kさん早速面会に行ってくれました。

10月11日に面会許可が下りた、という嬉しい報せがありましたが、黒原弁護士事務所のKさん、早速面会に行ったということで、その日の事を私にもメールで報せてくれました。私が拙い文章でお知らせするよりKさんのメールの方がずっとリアルですし、よく伝わると思いKさんの許可を貰ってここに転載させてもらいます。

おはようございます。ご報告が遅くなったのですが、月曜日、初の面会に行ってきました~!^^
月曜は黒原さんも事務所に来ていたのですが、「待ってるから絶対今日行った方がいい!」 と、送り出してくれました。
待合室で待っているときが緊張マックスでしたが()面会室に表れたあっくんは 終始ニコニコしていて、とっても感じがよくて好青年そのもの!!すぐにこちらの緊張もほぐれて、楽しく話ができました。 私が差入れたジャージを着てくれていて、とっても似合っていました。
随分痩せているように感じましたが、今はあれぐらいがベストなのですかね …><
お父さんに似てますね()
手紙のやり取りをしていたとは言え、一度も会ったことがないので、 私の中であっくんはそれこそ抽象的な存在のようになっていましたが、へんな言い方ですけど、実際に生きてて動いているあっくんを目の当たりにして、 胸に迫るものがありました~。。
こんな普通の男の子、好青年が、こういうところで何年も頑張ってきたんだなと思うと胸がいっぱいでした。目の前にあっくんがいる!!という衝撃が大きかったせいか、意外と横の刑務官さん はそれほど気になりませんでした()
夜和代さんにも報告し、喜んでくださいました。 皆さんに感謝です。
これからちょくちょく行きます^^次回が楽しみです。

というようなメールでした。今後、寛章君にとってもオークスにとっても凄く力になっていくと思いますし、より詳しく章寛君の様子や心情をお伝えできるようになると思います。本当に良かったです。


10月11日の面会から13日の講演会について(Kさんの面会許可も)

 10月11日は私の実家の田川郡糸田町いうところ(博多と豊前市のちょうど中間的な位置関係です)で庭の手入れなどしてお昼前くらいにそこを出発する予定でした。ところがドジなことに草刈りの最後の最後に小石を飛ばしてしまい、近くに止めてあった車のサイドのガラスが粉々に砕け散ってしまいました。面会に行くのも中止しようかと思いましたが、他の日もなかなか時間がとれないということもあり、無理して寒い思いをしながら博多まで行きました。面会の様子は今日の章寛さんコーナーに書きますが、「最悪!」等と思いながら車を運転していきましたが、結果的に時間がずれたことが良い事に繋がっていきました。というのも面会を終えて拘置所を出たところでばったり差し入れに来たKさんと出会ったのです。やあやあ、ということで我々は1時間ほど喫茶店に入って話をして帰ったのですが、丁度そのころ面会を終えた章寛さんは係官に呼ばれて、「kさんとの面会を許可する」という通達を受けていたのでした。(もちろん後からわかったのですが)
 喫茶店でKさんとその面会許可の可能性や、章寛さんが拘置所からの返答がないことに少しだけイラダチを感じているみたいだ、というような話もしていたこともあって、幸運なめぐり合わせみたいなものを感じました。更に後日談があって、今度は13日の講演会の日には、地下鉄をおりて改札に向かっていると、またもKさんとバッタリ会うは、方向が良くわからなくておたおたしていると、今度は徳田さんにも会って、そのまま会場までご一緒したのでした。11日に喫茶店に行っていなければKさんは13日の集会には来なかったかも知れず、又あの日に面会許可が出た、という顛末はその地下鉄のホームで聞いたのでした。「人生いろいろ」とか「禍福はあざなえる縄のごとし」なんて言葉が浮かびました。それにしてもkさんは「持ってる!」っていう感じです。

徳田さんの講演はもちろん非常に良かったです。ちいさな教会は50人くらいの人が参加して満員という感じでした。印象に残ったのは徳田さんが久間さん(飯塚事件の被告)の弁護についていて死刑判決が確定して、再審を準備している正にその時に突然執行されてしまって、(足利事件と同じ理由でDNA鑑定の不備が指摘されていたまさにそのタイミングでもあったのですが)ある意味自分が殺してしまったという大きな悔いを感じていること。だからこそ、何としても再審で無罪を勝ち取らなければならないと強く思っていること。さらにこの飯塚事件と袴田事件で死刑判決をひっくり返すことが、日本の死刑制度を大きく変える契機になりうる、と力説されていたことでした。事件そのものが誰が見ても冤罪としか思えないものであり、決定的にその冤罪性が証明されようとしていた時に、あえて刑を執行した国のご都合主義で人一人の命が殺された、ということも良くわかる講演でした。徳田さんには何度かお会いしてその人柄に凄く惹かれますが、今日もその人柄がにじみ出る良い講演でした。
最後の方で奥本君の事もアピールさせてもらい、20名くらいの方が執行停止の署名にも協力してくれました。タンポポの会のみなさん有難うございました。

9月26日 京都で「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会 の事務局の方と      お会いしてきました。

 オウム事件関連で13名の方がたが死刑を執行されるという衝撃的な夏でしたが、それと前後していろんなご縁で上記表題の会の通信や事務局の方を知るようになりました。先に通信「悲」のバックナンバー1号から15号までを入手して読みこんだところ、仏教的思想を背景として、罪とは何か、罰とは?償うとは?赦しとは?といった我々にとっても根源的な課題について深い考察がなされ、非常に共感出来る、なおかつ示唆に富んだ内容でした。通信には井上さん自身の手紙や詩も掲載されて彼がどのように罪と向き合い、償いに向けて生きようとしていたのかもかなり理解できるものとなっていました。
 守る会がどのように支援に取り組んできたのか、刑が執行されてしまった今どんなことを思い、今後どう活動を展開するのか、といったことを直接お会いして伺いたいと思い連絡を取りました。実際にお会いできるまでに1カ月かかりましたが、快く会見に応じてくださり、こちらからは黒原弁護士と荒牧が、あちらは会の呼びかけ人である方と事務局の方が参加してくれました。
想像していたとおりの素晴らしいお二人でしたが、一方でとても気さくなお二人でもあり我々も終始リラックスして話し合う事が出来ました。午後1時から5時までみっちり話し合いました。さて、その内容はということになるのですが、ここでそれを報告するにはまだ私の頭が整理できておらず、皆さんにご報告するにはあまりに不十分なので今回は見合わせます。今後の我々の活動の中で少しづつそのことは形にしていかなければならないだろうし、きっと今回の京都訪問が有意義なものだったと言えるものにしていきたいと思います。

9月2日 「私たちの幸せな時間」(2006年韓国)という映画の上映会ををしました。

署名集めの最終段階で(10月末か11月あたま)講演企画が出来ないか、という事も含めてその判断をするためにみんなにこの映画を観てもらいました。韓国の死刑制度と死刑囚の処遇等が良くわかる映画ですし、原田正治さんのお勧めで、ラブストーリー仕立てになっています。。私は映画自体がかなり良い映画だと思うのですが、残酷な犯行場面、ラストの衝撃等あって賛否は分かれました。一般の方たちと一緒に見るのなら上映の前後の説明や話し合いが欠かせない、という意見が多くありました。オークスの企画として上映会をするかどうかは別にしても一見の価値はあると思いました。


8月19日 第23回くるま座 座談会開催しました。

 久しぶりに求菩提宝寿寺でくるま座を開きました。当日の予定は1時間だけ宮崎報告等行い、後の時間で映画の上映会を行う予定でしたが、みなさんの集まりが遅かったのと宮崎報告その他が長引いてしまったので途中で映画会は中止、延期ということにして2時間たっぷり話し合いました。
 内容は署名活動や再審の見通しなどもありましたが、中心はやはり宮崎のMさんのことでした。元気で前向きに生きようとしているのはみんな喜んでくれましたが、その危なかしさについて危惧する声もありました。私たちにできることはほんのささやかなことかもしれませんが、なんとか連絡をとりながら見守っていき、章寛さんとの関係性の継続を模索したい、ということでした。
 映画は9月8日に再度上映会を行い、皆の賛同が得られれば中津市あたりで講演と併せたイベントを開きたい
と考えています。

7月30日、31日、約1年半ぶりに宮崎を訪れMさんと会って来ました。

 昨年の2月にMさんの就職に関する相談のため、宮崎を訪れて以来1年半ぶりに宮崎を訪問しMさんと会って来ました。直接的には「引っ越しをしたいので毎月の弁済金を前渡しでもらえないか?」という相談をうけてのことでした。昨年3月以降の被害者遺族会もからんだやり取りの中で、オークスが被害者遺族に2次被害を与えるけしからぬ団体と批判・中傷されてきただけに複雑な思いを持ちました。内部での検討では反対意見が多かったのですが、章寛君の思いとして『少しでもMさんの自立に繋がるのであれば、要望の額を渡して欲しい』という気持ちに応えての今回の宮崎訪問でした。私達としてはただお金を渡すだけではなく、まわりがどう言おうとも現在のMさんの気持ちを確かめ、我々の関わりがまさに2次被害を与えるようなものであるなら我々はMさんとの関係から一切手を引く、という旨も伝えました。それと、私(達)の現在の正直な気持ちとして、死刑制度や再審云々ということとは関係なく、私は現在獄中に居る章寛君が生きていく事の支援を続ける、と同時に章寛くんが罪を償っていくことを支援したい。そして章寛君の償いに向けての願いの一つがMさんが自立してくれることなので、そのMさんへの支援も続けたい」という事も伝えました。約5時間の話し合いでしたから細かく言えばたくさんありますが、結論を言うと、『これから先も交流・支援をオークスとして宜しくお願いします』と言ってくれました。

 Mさんが、我々も含めていろんな立場の関係者の中で翻弄され、気持ちが揺れ続けているのは無理からぬことですし、気持ちが変化していくことも当然だと思います。現在も厳しい状況にあるみたいですが、あの晩は現在や将来について希望に満ちた明るい顔で語ってくれました。偉そうなことを言っても我々に出来ることは、章寛君に対してもMさんに対してもささやかな事しか出来ません。それでも”共に生きていく”という気持ちの続く限り二人に寄り添っていきたい、という気持ちを再度確認することが出来ました。
犯してしまった罪、亡くなられた方のいのち。二度と取り返すことのできない時間。 被害者遺族も加害者(家族)もみんな苦しみながら、それでも前を向いて生きています。事件の社会性や人間が生きる、ということを考えた時、けっしてその苦しみや辛さは当事者だけの問題ではなく、私自身の問題だと深く考えさせられた今回の宮崎行きでした。
Mさんやその他のご遺族の方がた、被害者遺族会の方々とも心を開いて、どうしたら真の意味でみんなが救われていけるのか話し合う機会が何時の日か来る事を願います。

7月25日 共命鳥13号発送終了と奥本章寛氏への死刑執行停止を求める請願署名

 少し遅くなりましたが、共命鳥13号の発送をほぼ終了しました。今回は印刷ミス等あって予定より遅れてしまいました。また編集の最中に(7月6日)オウム関連で7名の方が執行されてそのことをどう受け止めればいいのか、共命鳥の中で触れるべきなのか、否なのか等動揺、混乱があったのも事実でした。この辺の情勢をはっきり予想していたわけではありませんが、2018年末が執行に関して一番危険なのではという思いもあり、大急ぎでの署名活動にも取り掛かったところでした。恐れていた事は前倒しで現出しました。章寛さん一人を助けたい、という思いでは決してありません、今回の執行をニュース、新聞等で詳細を知るにつけ、やはり死刑という制度で人を殺してはならないと強く強く再認識しました。我々に今出来ることとして執行停止の署名を集めたいと思います。ご協力を宜しくお願いいたします。
 


7月9日 面会に行きました。

 7月6日に面会に行く予定を、あらかじめ手紙で章寛さんに報せてありましたが、西日本各地を襲った豪雨が九州でも激しく降っていたので、道中の危険を考えてその日は中止することにしました。(各地で多数の死者を出す大災害になってしまいました。亡くなられた方、今も避難されている方等心からお見舞い申し上げます)。予定を変えて木工作業等いつもの仕事をしているところに、オウム関連で7名もの方の死刑執行があったらしい、という報せが飛び込んで来ました。真っ先に浮かんだのは“章寛君はどう受け止めただろうか?大丈夫だろうか?”ということでした。ご両親の事も気になったので夕方、奥本家を訪れて色々話しました。とにかく一日も早く面会に行かねばということで、私が9日に面会に行くこと、ご両親は12日に行くことになりました。(黒原弁護士は、その時死刑廃止シンポで沖縄に行っていて、やはり衝撃を受けたようでした。同じく12日に面会に行くと報せがありました。)
 当日は案の定数か所で通行止めがあり、迂回したり引き返したりしながらなんとか博多までたどり着きました、月曜日ということもあってか、面会者が多く1時間以上待ってようやく「28番の方・・・)と放送がありました。面会室に入ってきた章寛さんはいつもの笑顔でその顔をみて本当にほっとしました、もしも落ち込んでいたり、動揺していたらどう声をかけたらいいのか、などと案じていましたが、ほぼいつもどおりの章寛さんでした。もちろん立会の刑務官いるし、死刑執行の話しばかりするわけにもいかないので出来あがったうちわを見せたり、共命鳥13号の事を話したりしましたが、肝心な事はぼやかして聞くことしかできませんでしたが、最後近くになって「今朝の地震の方が(2回くらい揺れたそうです。私は気づきませんでしたが)びっくりしたくらいです」という言葉になんとなくほっとしました。
毎回の事ですが15分、立ち会いあり、ではなかなかうまく話せません。後は12にちのご両親、黒原さんの面会に委ねようというかんじで面会室を後にしました。
 帰りの車中「今出来ることを今やらねば…」と改めて感じながら帰途につきました。


6月の活動報告 カフェギャラリーの開設とうちわの販売開始

 総会を開いてからあっという間に20日以上も経過してしまいました。
6月はスタジオ・オークスとしては初めての展示会(求菩提地区にある”やまぼうし”というギャラリーで)開催中というところから始まって、総会、うちわの製作依頼、販売準備、発送等をやりながら、さらに7月1日の”ティアーズかふぇ”開設に向けて長年荒牧の居住していた借家の改装に奔走してきました。
 かふぇは事務局を一緒にやってくれている福田さんが、オークスとは別(独立採算)でやってみたいということで思い立ったものです。スタジオ・オークスも今年から活動とは切り離して、荒牧個人の生活費を稼ぎだすための仕事としてやっていくことが総会でも了解してもらえました。ややこしいのですがオークスは章寛さんの支援活動中心。スタジオ・オークスは木工や便利屋的仕事で組み立てる荒牧の個人的仕事。かふぇは福田さんの経営する個人事業。これまでの事務所を兼ねた借家をみんなでシェアしながら、財政は完全に分けてオークスの活動はこれまでどうり協力してやっていく、という形です。
 何故こうなってきたか、というと話が長くなってしまいますが、要するに活動を継続するためにも個人の生活はきちんと確立しなければならない、活動の財源が乏しいということでしょうか?個人の活動には常に付きまとう永遠の課題ですね。この件につきましては、総会報告と併せてもうすぐ発行の共命鳥13号で出来るだけ詳しくお伝えするつもりです。
 そんなこんなの合間にうちわの製作にも取り組んで、6月15日頃完成品が届いたのですがその発送準備も遅れ遅れて(なにしろ吉村君と二人しか実質的作業には関われない)ようやく発送に取り掛かったところです。
他に庭仕事を2件(所要日数約6日)梅雨の合間の雨の降らない日にやるしかなかったので、これもかなりハードでした。どうしてこんなことになっていくのか自分でもあきれますが、自業自得です。
 かふぇのオープンにはなんとかこぎつけたので、少しは余裕が出来てくると思います。
7月からは通信の発行、くるま座、等本来の活動に力を注ぐつもりです。講演や映画会も企画したいしもちろん章寛君の面会・支援も継続してきちんとやりたいと思っています。更に懸案は宮崎のMさんのことがあります。時々メールをもらいますが、相変わらず厳しい状況のようです。一日も早く宮崎に行って直接会って話したいのでそのスケジュールも組まなければなりません。やはり彼の自立支援というのがオークスにとっての重要な課題だと今も思っています。思っているだけでは少しも状況は変わらないので出来ることからやらねば・・・。

 なんだかホームページもなかなか更新出来ないことの、言い訳めいた報告になりましたが以上6月の活動のまとめ報告でした。

6月10日 総会を開催しました。

 豊前市岩屋のオークス事務所で総会を開きました。参加人数は10名程で人数は少なかったですが、奥本さん夫婦も参加してくれたり、久しぶりの人も顔を出してくれて、なんとか総会を成立させることが出来ました。基本的には全て了承されましたが、2018年の活動方針の一部が議論しつくせず保留になりました。詳細は次号共命鳥で報告します。

5月16日 理事会を開催しました。

 一度延期になった理事会を中津市の荒牧の自宅で開催しました。前回の予定は原田さんが軽い交通事故にあった、ということで延期しましたが、今回その原田さんも元気に参加してくれました。福田さんは私用のため欠席でしたが、代わりに事務局の宮崎さんがオブザーバー参加で久しぶりに元気な顔を見せてくれました。その他の出席は岸本さん、荒牧です。内容は次回総会終了後に。
理事会終了後、原田さんには少し残ってもらい、夕食を共にしてゆっくり話しました。「HER MOTHER」という映画の上映会したい(なんと、原田さんがモデルなんだとか)という話で盛り上がりました。

見出し

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4月4日 新たに一人、手紙の交流が認められました。

 一報は、章寛さんのお母さん和代さんからのメールでした。博多の黒原さんのところのK・Nさんのところに章寛さんからの手紙が届いて手紙のみですが交流が認められたらしい、ということ。さらにその後Kさん本人からもメールがあり、またこちらからもKさんに電話で確認しました。それらをまとめると、昨年から(後半ころから?)章寛さんがKさんとの手紙の交流を申請していたが、なかなか許可がおりなかった。不許可という答えもなかったので、拘置所に判断してもらうためにも、Kさんにはあきらめずに、届かないのは承知で手紙や、現金等の差し入れを続けて拘置所の判断を待ち続けてもらっていた。(4月6日の面会で章寛さんに聞いたのですが)3月31日に許可が出ていて、その時点でKさんがこれまでに出していた郵送物が全て手元に届けられていたそうです。章寛さんはすぐに手紙を書いて4月2日の朝一番に発送をお願いした。それが4月4日にKさんに届いて、Kさんがすぐに和代さんに伝えたということのようです。当然ながらみんなが凄く喜んでいて、これも章寛君が中で頑張っているからだろうね、と話しました。これだけいろんな人が面会や手紙の交流が認められているのは多分異例の多さだと思います。福岡拘置所の裁量にも感謝します。(日本の死刑制度の中では、、、ということですが)
Kさんは、この事件、支援活動への参加をきっかけに、四国から弁護士事務所に就職して(今思うと、冗談みたいな話から始まったのですが(笑))博多に移住した方ですから本当にすごい縁ですよね。しかも章寛君の敬愛する土屋賢二さんの教え子だと言うから又びっくりです。章寛君という池に投げられた小石の波紋の一つです。波紋と言えば今日4月6日の面会に行く道中往復5時間の車内で一人で今後のオークスのことを考えているうちに、『そうか、あの波紋を波紋で終わらせないで一つの波ニシナケレバ(ウエーブに)』と思いました。今度改めて考えをまとめてこのページでお知らせします。特別報告、乞うご期待!です。
 とにかく、凄く嬉しい報せでした。次は面会許可まで頑張りましょう、楽しみながら、ね、Kさん。


3月30日 第22回くるま座開催しました。 求菩提宝寿寺にて

 前前から考えていた仏教的、あるいは浄土真宗から見た( 宮崎事件) という観点で、講師を宝寿寺の矢鳴哲雄さんにお願いして,久々求菩提の地元でくるま座を開きました。参加は奥本夫妻をはじめいつものメンバー(2名は会場を間違えたという事で参加出来ませんでしたが)に、求菩提ということもあって、地元の方も2名参加して下さり、東京からたまたま来ていたNHKの女性プロヂューサーTさんにも飛び入り参加してもらいました。
 矢鳴さんのお話は前半は死刑制度についての真宗の考え方から始まって、世界の死刑制度の潮流、何故死刑ではいけないのか、いのちをどうとらえるのか、といった話になりました。後半は真宗というよりはブッダを中心にした仏教の話になりました。歎異抄の言葉や観無量寿経というお経の中で描かれている人間の愚かさ、未熟さ、そこにどのような救いがあるのか、という難しい話でしたが、そこを章寛君と結び付けてどの様に救われていけるのかといった展開になっていきました。NHKのTさんはまだ若い女性でしたが、自己紹介を兼ねて、彼女自身の生い立ち、現在思っている事を矢鳴さんの話とあわせて語ってくれました、小さいころから色々深く傷つくことがあり、”生きること”にむしろ否定的だった彼女が、東北に駐在して震災被災地を取材した時、生と死について深く考えさせられたこと。ご自身が今ようやく生きることに前向きに取り組み始めている事等、今日のテーマとすごくマッチして議論がかなり深まっていきました。地元のNさんもとつとつと自分の中の宗教観、毎日仏壇に手を合わせることが当たり前の生活について話してくれたり、逆に中学校の理科の先生Tさんが『みんなそんなこと考えて生きてるんだ』と冗談とも本音ともつかない発言をして笑わせてくれたり、普段聞けない話が出来てとても良い座談の会になりました。
 いつも生活や眼の前の事に追われて、生きること、死ぬ事について深く考えたり向きあったりすることから逃げがちな私達に比べて、章寛さんは毎日そこに向き合っている。その中で考えたり感じたりすることの深い意味に思いを致し、それでもたんたんと写経や読経をする時間を持ちながら罪と向き合っていく姿を思う時、辛く苦しい”生”であることは間違いないとしても、もしかしたら宗教的には(誤解を恐れずに言えば)章寛さんは瞬間的には救われているのかもしれないと思いました。そして、もし支援ということがあるとしたら、やはりそんな章寛さんに寄り添い、ともに生きることでお互いに成長して行く事なのではないか、と改めて感じました。


2月10日 第21回くるま座 開催しました。

 このところ、大雪だったり、寒かったりして集まりが心配でしたが、最終的には10名の方が参加してくれました。奥本さんご夫婦もいつもの笑顔を見せてくれました。奥本さんのところは先日の雪の時は50センチくらい積もったそうです。特筆は四国のKさん姉妹が駆けつけてくれて、新鮮な意見が聞けたことでした。
 今回は特別なテーマは設けず、出来るだけフリーに話し合いたかったのと、実際被害者家族との交流がほぼ途絶えたままなので、具体的話にはあまりなりませんでした。それでも、今、改めて私達は何を求めているのか、何が出来るのか?どんな方向性で活動を継続するのか?という話と、そもそも、何故今日この場に居るのか?という随分さかのぼった、原点のような話になっていきました。
 死刑廃止や、章寛君支援の具体的継続のことが話される中で、やはり事件の真実をどうにかして、社会に伝えていき、そのことをとおして、けっして他人事ではない身近な問題である事を感じてもらい、その上で被害者の立場でも加害者の立場でも『どうしたらこのような悲劇が防げるのか』ということを一緒に考えていくことが大事なのではないか?というところに行きつきました。そうした活動から少しでも社会に、あるいは国民に身近な問題として、死刑制度を考えてもらい、出来れば廃止という方向に持っていけたらとおもうのですが・・・。では、どうやって事件の事や真実を伝えていくか改めて、方法を考えなければなりません。通信やホームページはもちろんですが、本や脚本、マスコミなど色々考えられますが、とにかく一つでも実現していくことですよね。

 この辺の議論にはKさん姉妹の参加がとても刺激になりました。やはり新鮮な風というのが必要ですね。

 今度の天皇の代替わりに併せて、恩赦や特赦等の署名を集めるということも検討されましたが、その制度自体がどういうものなのか、具体的やり方はどうなのか?むしろ反感やバッシングを受けるのではないか?など意見は全然まとまりませんでした。このことについてどなたかご意見があればお寄せ下さい。

1月26日 章寛さんの処遇についての情報

 死刑囚として収監されている章寛さんの処遇については、分かり難いことが多くて、なかなかまとめてお伝えすることが出来ません。というより、面会や手紙のやりとりが認められるかどうか、といったことに力点があって、具体的に考えたり調べたりしてこなかったというのが正直なところです。
先日の面会で「監視カメラのない部屋に移りました」という嬉しい報告があって、それはそれでとても良かったのですが、事件の翌日から8年間近くも24時間監視体制のもとで生きてきたのかと、改めて考えさせられました。死刑囚の処遇ということについてもっと体系的に知る必要があります。
 そうした時に、ずっと熱心にオークスの活動を支援して下さっている埼玉の石井さんが、差し入れとして送っている写真ハガキがどういう扱いになっているか、福岡拘置所に電話で問い合わせて下さり、その結果をメールで知らせてくれました。貴重な情報だと思いますので転載します。

今日、早速、福岡拘置所へ問い合わせをしてみました。
1 差し入れできないものの拘置所の対応  拘置所から送付者へ連絡しているとのことです。

2 本人に届けられないものの管理

  拘留者個人の箱があり管理している。ただし、届けられたかどうかは、送付者に連絡していない。写真 ハガキの対応については回答あり ませんでしたが、拘置所で処分することはしていないということです。

3 本人との面会や手紙の交信を行っていないことを伝えると、「困っているものはないか」など、手紙を書いたらどうか、と提案がありました。しかし、届けられるかどうかの判断は、別の部署で行っているとのことでした。他愛のない文面しか思い浮かびませんが、一度手紙を試してみたいと思います。

 以上 石井さんのメールから
上のメールやこれまでの経験から考えられる事として、外部交通が認められてなくても、僅かに何らかの形で本人のところに(名前だけでも)届く可能性と、その人にそれだけ支援の手、関心が寄せられているということが拘置所には届くということでしょうか。切手や現金なら直接届きますし、名前住所が伝わって、本人がお礼状を書けますのでそれが早いと言えば早いのですが、全体的な処遇改善のためには無駄かと思える事もやってみる価値と必要がありそうです。
PS 現在博多のKさんが手紙の交流の許可を目指して、章寛さんには届かないのを承知で手紙を書き続けています。

2018年 1月 今年も宜しくおねがいいたします。

 実は今日は1月14日です。あっという間に今年も2週間経ってしまいました。年末から年始にかけては共命鳥11号の編集、発行、さらに年明けからは年賀を兼ねての発送作業をお屠蘇気分のままにぼちぼち、だらだらと続けてきてようやく1月10日ころに全ての発送作業を終えました。例年3が日には木工作品を一つだけ作って来たのですが、今年はそれすらやらずにほんとうにぼちぼちと発送作業をやりました。でもそれはそれで良かったような気もしています。面会も遅くなりそうだったので、差し入れの支援金を、確か1月5日に現金書留で送りました。そうこうしているうちに章寛君から手紙がきたので、そこから抜粋して章寛さんコーナーで皆さんにお伝えします。
 例年2月から3月にかけてが章寛君にとってのピンチの期間という傾向があります。寒さ、自分の誕生日(2月13日)、事件の日(3月1日)等が重なることで落ち込み気味になるのかもしれません。そこで皆さんにお願いです。切手、はがき、現金など手紙としては入らなくても名前だけは伝わりますし、簡単なお礼状は書けますので是非差し入れをお願いします。額は僅かでも気持ちは伝わります。繋がりも確認出来ます。是非宜しくお願い致します。


12月2日、3日山口市で開催された死刑廃止合宿に参加してきました。

 13時受付開始ということで、9時半頃に豊前市を出発しましたが、ほぼ全線高速道路を利用したところ、なんと11時過ぎには会場に到着してしまいました。いつも面会に行く博多は1時間45分くらいかかりますから、山口市の方が時間的には近いというのが今回の発見でした。それはさておき、主だったプログラムを言うと、まず最初がアムネスティーの方からの「死刑をめぐる世界の情勢」というお話し。続いて九州大学名誉教授・内田博文さんの「共謀罪・憲法改正と死刑」という講演が予定を延長して約1時間半ありました。大学の講義のような雰囲気でついていくのもやっとでしたが、事前に講演内容の詳細なパンフが販売されていたので、あとからそれを読んでなんとか少しだけ理解ができました。多分一番大事なことは、日本の場合、戦前の教訓が反省されることもなく今また、共謀罪や憲法改悪という形で復活しようとしていて、なおかつ死刑制度もその延長上で継続されている、非常に危ない状況にあるということだったと思います。そのお話を受けて安田好弘弁護士と、内田さんの対談。ようやく私にも理解できる話になってきました。16時半頃からは分科会ということで私は「被害者感情・被害者支援」についてという分科会に参加しました。これも短く要約してしまうと、被害者感情と一口で言っても、様々なケースがあり、時間の経過のなかでその感情も大きく変化する。アンケート等では死刑制度存置の理由として、事件直後の被害者(遺族)の応報感情がクローズアップされるが、実はそれだけでは真に被害者(遺族)に寄り添ったことにはならない。もっときめ細かな被害者(遺族)への支援や救済制度、社会的取り組みが必要とされているし、その上でなければ死刑制度のことも論じることが出来ないのではないか?というところに論点があったように感じました。

 夜は交流会ということで、随分あちこちの方と話すことが出来ましたが、なにしろ皆さん死刑制度廃止の歴戦の勇士ばかりなので、私のような個別支援の駆けだしにはただただ畏れ多いという感じでした。(これは全体を通じての私の率直な感想でもありました」それでも安田さんはじめいろんな方にアドバイスやご意見を伺えたことは貴重な経験でした。
 翌日は9時から分科会のわかちあい、各地からの報告、今後の取り組みなどが話されましたが、あっという間に終わったという印象と、死刑廃止の運動というのはやはりかなり厳しい状況だなと感じました。これという特効薬など誰も持ち合わせてない、個別だろうが全体的運動だろうがそれぞれが出来ることを地道に継続するしかないということでしょうか?
 初参加でしたし雰囲気にも今一つなじめない感もありましたが、各地で頑張っている多くの方に直接お会い出来てお話しできたことは多大な収穫でした。

11月10日 黒原弁護士からの連絡メールから抜粋

 

1 再審 第1次再審は、9月1日付けで、「再審請求棄却決定」です。 現在、福岡高裁宮崎支部あてに即時抗告を  しています。
 2 恩赦  なんの回答もないので、いまだに請求中という形であると思います。

 3 第2次再審請求  棄却決定の理由は、以下の通りです。

刑事訴訟法435条6号の「軽い罪」を主張するときに、再審事由があることになり

再審開始決定がでて再審がはじまることになる。ここで「軽い罪」というのは、構成要件を異にし、法定刑が変わる場合でないといけない(最高裁昭和25年判決)  
 本件では、単に量刑が軽くなる、との主張にとどまるので、「軽い罪」にあたらず、したがって再審事由はなく棄却、というものです。 戦後の混乱期に、裁判やり直しばかりいわれたらたまらない、ということで、「軽い罪」の解釈を極めて狭めて、その解釈がそのまま半世紀にわたって生きている、ということなのです。 ここを打破しないと、(無罪を争う、袴田事件などとは異なって)奥本事件では、再審の扉は開きません。
ですので、(困難であることは百も承知)この点の理論的主張を組み立てて、現在の即時抗告審の段階から 主張しておく必要があります。ここが突破できないと、どんなに第2、第3を組み立てても同じです。

 実際には、殺意はなく、3人に対して傷害致死罪が成立する、くらいの主張でないと、今のままでは、「軽い罪」に あたるとはいえない、ということなのです。

以上です。
 殺意という点では、事件の時にはすでに心身の喪失状態にあったと私などは思うのですが・・・。黒原さんの組み立てに期待しながら、私達も考えてみましょう。

11月2日 4名で”いのち”ということについて話しあいました。

  11月2日、オークスメンバーでもあるSさんからお誘いを受けて彼女の自宅で飲みながら、座談会的に気楽に”いのち”というテーマで話しをしました。発端は9月3日の講演会に参加して下さった山口県の女性が、あの講演会の続き的話がしたいと言ってくれたことだったそうです。そのNさんとSさんが知り合いだったので「じゃあ、家で飲みながら・・・』ということになったそうです。お寺のYさんも参加してくれました。別にテーマという形で決めたわけではないのですが、奥田さんに質問を予定していて出来なかった、生きることの意味、というなんとも難しいところから話は始まってフランクルや、歎異抄、はては宇宙論的なところまで拡がりました。“幸福”とかそれこそ“いのち”とかの抽象的話をとりとめもなく?話しましたがそれが、いつか、章寛君への支援の仕方やその時大事なことはどういうことなんだろう、というような話にもなって、大事な指摘も受けました。こんなかんじで飲みながら、ゆっくり話せる座談会もいいなと思いました。個人的、具体的な思索についてはどこかで、ぼちぼち書いていきたい、と思います。

10月後半、続々と章寛さんからの手紙届いてます。 

  特筆すべき点としてこれから共命鳥に自分で文章を書きたい、だから1ページ下さいということでした。もちろん 事務局も願っていたことなので、11号からは章寛さん文書が掲載されることになると思います。乞う、ご期待

10月19日面会に行きました。

  主な話はカレンダー制作の打ち合わせと被害者遺族の方への弁済金の受け渡しについて。章寛さんの甥っ子二人と の面会手続きについてでした。

10月12日 共命鳥10号発送始めました。

  被害者遺族の方との関係性についてと、奥田さんの講演会についての報告、感想を中心にしました
 

9月28日 第20回くるま座座談会 おこないました。

 奥田さんの講演会のビデオを皆で見て、改めて今の支援活動についての気楽な話し合いをもちました。
 参加は黒原弁護士はじめ10名程でした。

9月3日 おんなじいのちの講演会

 
 おなじみの中津市教育福祉センターで「おんなじいのちの講演会」開催されました。 約120名参加で久々に100 名を越える集会を開催することが出来ました。奥田さんの講演内容も素晴らしく、好評でした。
オークスの今後の活動を考える上でも大きな示唆をいただきました。

オークス

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福岡県豊前市大字岩屋682
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