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今日の章寛さんtoDay

■■■2017年以前の様子はこちら→

6月26~29日、4日連続で面会に行きました。

 記載し忘れていましたが、6月13日にも面会に行きました。その日の面会時、会話の中から、いろんなことがままならない状況だという話になって、章寛君が頭を抱え込むという場面がありました。その様子からこの間のストレスがかなり溜まっていることと、絵の描けない状況下、ほかのやるべきことを作り出さないと精神的に迷路にはまり込んでいきそうな様子から、6月末に連続で面会に行こうと思い立ちました。
 日程をなんとか調整して4日間、実家のある田川に泊まり込んで実家の仕事をしながら、昼前後に家を出て2時頃拘置所に到着という感じで通いました。良かったのはそこからなら約半分の時間で行ける事、時間帯の関係か道路も拘置所の待合室もかなり空いていることで、毎日30分の面会時間も確保できました

5月18日の面会について

以前から浮上していた生前法名の取得のためにも、地元求菩提の宝寿寺住職矢鳴哲雄さんの面会を実現させたいと動いてきました。矢鳴さんとは手紙のやりとりは何年も前からしてもらっていたので、可能性ありとみて章寛君の方から拘置所に許可願を出していたのですが、5月上旬に許可予定という返事をもらっていたので、そんんなにすんなりいくかな?と半信半疑でしたが、ダメ元で行ってみたらなんの障害もなくすんなり入れてくれました。(構えて待っていたので拍子抜けするくらいに)。日程調整の段階でご両親の面会日とも重なっていたので時間を合わせて拘置所の駐車場で待ち合わせて、一緒に入り人数の関係で(1日一回、3人まで)申し訳なくもお父さんに待合室に残ってもらいました。
 矢鳴さんと章寛君は宮崎刑務所以来で8年ぶりくらいだったようです。自然な感じの再会から早速生前法名所取得の話となり、こちらも話がトントン拍子に進んで浄土真宗本願寺派で正式な帰敬式を拘置所内で執り行えるよう各方面に働きかけることになりました。(実は矢鳴さんと懇意の方が福岡教区で教誨師をされていてその方が組織として本山に話を持って行ってくれることにもなっていました。18日にはその方が我々を拘置所駐車場で待っていてくれて感激しました。)
話の成り行きから、仏教での個人教誨も受けてみたい、ということになり面会が終了したら早速その願いを出してみる、と言っていました。その他のエピソードから今章寛さんには本当に心の支えが必要なのだと、そして真宗の親鸞さんの教えが必要なのだと感じます。良い教誨師さんがついてくれるといいのですが・・・。
帰りに福岡教区を訪れて、教誨師さんに会って今日の面会の報告をして帰りました。


4月7日面会に行きました。色鉛筆訴訟、生前法名取得、のことなどいろいろ話せました。久しぶりに元気な印象の章寛さんでした。

 朝のうちに仕事を一つ片づけて、10時頃出発。拘置所に着いたのは12時50分頃。今日もまた拘置所入り口には強面のお兄さん方が20名程ずらっと並んで出迎えてもらいました。差入れを済ませて待つこと20分ほどで番号を呼ばれて、面会室6号室へ。入り口での検査がさらに厳しくなって限られた、ノートや鉛筆のみもってはいりました。このところ面会時間は30分あります。
 話題は前回の差入れの話から。珍しくお菓子の差入れをお願いされて、一品目多く差しいれたことを嬉しそうにお礼を言われました。こちらも嬉しくなりました。それから色鉛筆訴訟の中間判決が5月25日に決まったこと、判決は予断を許さないことなどを伝えました。あまり気にしてない風でした。メインは生前法名取得の件。こちらは大いに関心があるのですが、結論をいうと少し時間がかかってもやはり実家の菩提寺である宝寿寺の矢鳴哲夫さんにお世話になりたい、ということでした。そのためにも哲夫さんとの面会が必要だということで、それがじつげんするよういろいろ動いてみることにしました。(後日、矢鳴さん、ご実家のお祖母ちゃん、ご両親にも話に行きました。)たまたま今、実家のリフォームを頼まれて私が大工仕事に携わっているのですが、その話も含めてご家族や実家の話で盛り上がったのも元気な気持ちになれたのかもしれません。
 帰りにはまた欲しい差入れを聞いて、プラス1品差し入れて帰りました。


1月、2月に続いて3月20日面会に行きました。

 今年になってから3回目の面会。昨年末から二つの課題が浮上していてそのことについて話し合いつづけています。一つ目は生前法名の取得という課題。もともとは、実家の菩提寺である宝寿寺の矢鳴さんと章寛君との手紙のやり取りの中から『生前法名を戴いては?』『受けたい』とのやり取りから始まったのですが、西本願寺(本願寺派)では『前例がない』とのことで、正式な手続きが難しいということでした。矢鳴さんはかなり憤っていましたが。そこで私の実家の方の宗派であり親しい友人も多い東本願寺(大谷派)の方で調べてみると、福岡拘置所でも10年ほど前にそういう実例があったそうで、章寛さんの場合も可能性はある、ということでした。
そもそも、生前に法名を戴くというのがどういう意味があるのか矢鳴さんに聞いたところ、仏弟子になる、仏道に生きる、ということの決意表明みたいなものだ、ということでした。いろんな意味で生きることへの意欲を失いつつある章寛さんにとっても意味は大きいと私は感じていましたので、なんとかこの話を進めたいと考え、前回の面会でもその話をしました。(もちろんこの間の手紙のやり取りの中でも話し合ってきました)
 結論を言うと、章寛さんは『形や宗派はどうであれ、法名を戴いたその後が大事だと思うので、お任せしたい』ということでした。どう進められるかは今現在も調べてもらっているところですが、出来れば正式な形に近いものにしたいと思っています。
 もう一つについては時間のある時にまたご報告します。


12月12日の面会

 午後から出発して13時半ころ拘置所に到着。いつものように現金の差し入れ後6号室へ。この日の主な話題は2つ。インター7関係の人達と廻った被害と加害を繋ぐ旅、の様子。特に義弟Mさんの近況や最近の心情について。もう一つが例の発達障害についての話題。前者についてはやはりMさんとの認識のずれが気になる様子でしたが、Mさんからの『それでもあいつは変わってないと思う』という言葉に『僕もそう思います・・・』と、やや自嘲気味に悲しげな表情でした。共命鳥25号の中の阿部恭子さんの文章、「あなたにしか出来ないこと」にいろいろ示唆を受けた様子でしたが、それでも僕が出来ることは絵を描いて、Mさんに少しでもお金を届けたい、ということでした。
 発達障害の話題になったとき一番気になったのが、「今日の午前中、別のことでイライラして早く執行されて死にたいと思ったのも、やはり僕の障害の一つかもしれませんね」との言葉。それは決して投げやりな感じではなく、そういう特徴がある自分として気を付けていこう、という前向きな表現であり表情だったと受け止めています。
この年末を乗り越えて明るい2023年を迎えようと約束して別れました。

11月10日の面会、とても重要な1日になりました。


11月7日か9日もしくは10日に面会に行けるだろうと、そしてその時には共命鳥25号の完成版をもって 行こうと思い、前もって報せていたのですが、7日9日と仕事が入って、10日も午前中用事が出来て、どうしようか迷っていた。おまけに共命鳥の章寛君原稿について2度速達が来て苦情や、もう書きたくない、といった内容も含まれていて、面会そのものをやめようかと直前まで考えた。(活動報告参照)しかし他の人のアドバイスもあり、ある意味、どうにでもなれ、という開き直りや、ここが勝負所といった覚悟をもって面会に行くことにした。
10日は用事が9時半までに片付いたので、午前中の面会はあきらめて午後に間に合うように10時半頃から出かけて、拘置所には14時頃着いた。番号札46番。これまでで一番大きい数の番号だった。怒っているかな?どんな表情かな?と気にしながら面会室6号に入ったが、出て来た章寛君はいつも通りの穏やかな表情だった。ひとしきり共命鳥の原稿についてのやり取りをした(それも、横の立ち合いの刑務官を気にしてこれまでだったら率直には出しにくい話題=外部交通の許可に関わるかもしれないと恐れて。でもあったのだが)何故こんなに行違うのか?章寛君も腹立たしいだろうが、私も相当腹を立てたり、苛ついてしまう。ということを率直に伝えてから、『他の人の意見も聞いたうえで思い切っていうのだが、章寛君は発達障害ではないかと思う。それがいいとか悪いとかではなく・・・ね)と切り出した。『僕もそうじゃないかと、感じていました。断片的知識ですけど・・・』そして
本当に印象的な表情だったのだが『それで、罪が消えるわけじゃないけど、なんとなくほっとします』と、まさにほっとした何とも言えない安どの表情を浮かべた。
 これから、みんなでそのことを一緒に考えていこう、改善できることは改善していこう、といったとても前向きな話と、このことはオープンにして良いという了解(例えば、ご両親や黒原さんにも伝えて欲しい、と)も貰って私自身も凄くほっとした。面会時間の制約もあって話は途中で終わったが、さらに詳しくは手紙で・・・と話して面会室を出た。
 以上のことがどれほどの意味を持つのか今の段階ではわからないが、立ち込めていた霧が晴れてくるようだった。


10月7日の面会

 今日は雨。10時40分に拘置所着。21番でした。久々に長い待ち時間。差入れ現金を差し入れて、待つこと40分。いつも会うそれ系のお兄さんに初めて会釈しました。
 出て来た章寛君、開口一番、以前面会可能だった、幼馴染の女性について質問とお願いを口にしました。その女性は結婚して博多に暮らしていて、その後ご主人の仕事の関係で神奈川の方に引っ越したため、面会できなくなっていたのですが、最近実家の近くに越して来たのだ、という情報を章寛君の弟さんから聞いたので、久々に手書きを書きたくなった。ついては荒牧の方で住所を聞いて欲しい、もしその人が良かったら簡単な葉書でも出してくれたら嬉しい、ということでした。私もよく知っている娘さんなので喜んで伝える約束をし、後日その人のお父さんを通じて伝えました。葉書でも出してくれているといいのですが。そんな風に章寛君が積極的に誰かと連絡を取りたい、という気持ちになってくれていること自体が喜ばしい思いでした。その後野球の話などした後、体調や精神面について尋ねてみると、「今日の天気みたいですね。土砂降りじゃないけど、ずっと曇天模様です。考えすぎたり、反省ばかりしているのが良くないのかもしれません。ちょっと鬱っぽいです」とのこと。内容は暗いですが、表情は明るく、そんな自分の気持ちを面会時に伝えてくれたことをなんとなく、嬉しく思いました。それはいい兆候だと感じました。共命鳥用の原稿やイラストについてもいつもより前向きに感じました。墨絵にも練習中ですが前向きに取り組んでいるらしいです。
帰りに章寛君から私への宅下げということで、平野啓一郎著「死刑について」と鉄筆文庫「日本国憲法 9条に込められた魂」という本を受けとって帰りました。


9月7日面会にて

 拘置所の入口に近づくと、ビシっとした格好のお兄さんたちが門の近くに5,6人並んで物々しい雰囲気。待合室に入ろうとしたら、ハイヤーが到着。さらに大物らしき人が降りてきて受付もせずに7,8人と一緒に中に入っていった。。(多分お兄さんたちが先行して受付を済ませていたのでしょう)。私が受けつけに到着するとすぐに、その大物らしき人は面会室に入っていった。それとは全く無関係に一般人である私は差入れを済ませて20分ほど待って、番号を呼ばれてなかに(今日は6号室)。
 章寛君はめずらしく伸びて黒々とした髪をなでながら入ってくる。挨拶もそこそこに体調のこと、運動のこと食べ物のことなどよく話してくれる。饒舌だな、という気がした。インター7の刑務所アート展から話が絵のことになって「筆ペンで水墨画に挑戦しようと、今河村さんに参考書をいろいろ送ってもらっている」とのこと。久々にやる気が出てきている様子になんだかほっとする。以前からの質問事項に対する回答を済ませて気が楽になったのかもしれない。(質問は1月にジャーナリスト宮下さんからのものだったが、その回答をようやく片づけたということです) 肝心の宮下さんとは連絡が取れず、共命鳥への掲載はやめておいて欲しいということなので、ほとんど日の目は見ずに終わるかもしれませんが、、、。(場合によってはこのホームページに掲載もありかと・・・)
 その後は野球や相撲の話をゆっくりして、河村さんの噂話などをしてリラックスした雰囲気で面会を終えました。



2022年8月3日面会にて

 今日の面会も猛暑の中、お昼前に出発して拘置所着が午後1時30分頃。駐車場には立派な車が5,6台停まっていたが、普通車や軽はほとんどなかったので、面会室はすいているかな?と思ったら案の定実際に待っている人はほとんどなく、その関係の人風のお兄さんが三人だけだった。20分ほどの待ち時間に差入れを済ませる。今日は初めて4万円。2万円はいつもの章寛君と被害者遺族への送金分。残りの2万は名古屋の方に買っていただいた章寛君の原画分。空いていたせいか、面会時間30分をもらえたのでゆっくり話せた。内容は色鉛筆訴訟、報告会の報告。最近弁護士も来れてないらしく、裁判の進行状況も良く分かってない様子だったので、そのことも併せて伝えた。それから河村さんの出産。赤ちゃんの名前がアキトと聞いて、音として章寛のアキ、ゆうとのトかな?と嬉しそうに話していた。絵を描くことに一区切りついたので、今から1月に、私があのジャーナリスト宮下さんから託された質問に答えて、それが終わったらカレンダー用の絵に取り掛かる、10月ころまでに6枚書き上げたいと言っていた。ちゃんと覚えていて、とにかく一つずつ終わらせていくつもりで取り組んでいるんだ、とこちらが驚いた。章寛流の律義さと融通の利かなさ、だろうか(笑)
 インター7の刑務所アートについて説明し、課題部門のテーマ「私の大切にしたい時間」という言葉に敏感に反応したように感じた。最後に最近の体調に対する質問の答えは「最近のソフトバンクみたいですね」と。となるとまだかなり低調?と私は受け取った。ウーーーン。


6月29日面会に行きました。

 
この日は午後から出かけて14時10分から30分の面会でした。午後からの方が道路もすいているし、面会者も少なくて楽ですね。待っている間にいつものように2万円を差し入れます。章寛君に1万、被害者遺族様に1万。差し入れ金額が少なくなって申し訳ないのですが、オークスとしてはこれでも精いっぱい。いつまで続けられるか難しくなっています。
 30分の面会時間でしたが、話すことが多く最後は尻切れトンボ。最初はこのところの暑さ。拘置所ではまだクーラー(廊下のみ)が入らず。うちわだけではさすがに何もする気になれないとのこと。その話題から、昔高速道路の建設作業に従事していたころもやはり死ぬほど暑かったことや、朝5時出勤で夜10時ころまで仕事をしていて、今だったら完全にブラックですね・・・などと思い出を話してくれました。考えてみればそれが事件を起こす直前までの日常だったのかもしれません。。それから名古屋のOさんが又絵の注文を出してくれて、それをいつまでに、どのようにお届けするかという打ち合わせをしました。インターセブン関係でも受刑者の絵の展示会という話があり久々奥本画伯は忙しくなりそうです。一番時間を取ったのが被害者遺族の方への送金方法とその確認。何しろ博多に河村さんが居なくなって、送金や連絡がスムーズにいかなくなって、宮崎事務所や被害者遺族の方との間で混乱が生じています。事務局が間に入って調整して、6月分まではなんとか被害者遺族の方にとどいたようです。今後の課題としてやる気を持って前向きに取り組めること、というのを話したかったのですが、時間切れで終わってしまいました。ただお互いに最悪の時期は脱出できたのかも知れません。なんとなく明るい雰囲気で話せた30分でした。


3月9日、4月6日、5月20日、と面会に行っています。

3月からずっと私自身の体調が悪く、このページの更新もままなりませんでした。現在も不調から抜け出せませんが記録として残すためにもまとめて報告します。
 共に生きるということはこういうこともあるのかもしれませんが、章寛君の不調と私の不調が重なり合って、どうも同じように精神的にも肉体的にも二人ともガタガタのようです。
4月6日の面会は河村さんと時間を合わせて一緒に面会しました。3月30日に私に届いた手紙に衝撃的な内容が書かれていたからです。具体的には書けませんが、言ってしまうと章寛君が生きる気力を失いかかっている、償いの人生を歩こうという気持ちが挫折しかかっている、というような内容でした。そんな状況にどう対処できるか、限られた方法の中で、とにかく会いたいということ、河村さんがまだ博多にいるうちに一緒に状態を確認したいと思い慌てて駆け付けました。結果的には心配したような拘禁ウツてきな感じは見受けられず一安心でしたが、10年以上の孤独な戦いがじわじわ章寛君を蝕んでいるように感じます。無理もない環境や処遇ですが、如何ともしがたく、その後の手紙で励ましと無理することなく、自身の内側から湧く気力を信じて欲しいということ、私も信じて待つという手紙くらいしか書けませんでした。
この一か月半、手紙を待ちましが手紙は来ませんでした。ただその間にご両親が面会に行って、甥っ子に頼まれた絵(鬼滅の刃の主人公二人?)を完成させることに取り組んでいたようで、そのことが一定の力を与えてくれていたようでした。
 そうなのかもしれません。遠く、見えないような罪の償いに向かい続けるよりも顔の浮かぶ甥っ子のために絵を描くことのほうがよほど力を与えてくれるのだと思います。それを責めることは私にはできません。何もできないときもありながら、それでも生き続けることが大事なのだと思います。
そして5月20日、私の体調もさらに悪い中(どうも自律神経失調症みたいです)なんとか拘置所までたどり着いた、といった感じでした。わたしにとってもやれることを頑張ってやる、ということが薬になると思っていますし、事実その日の帰りは少し楽でした。
面会室に入るといつものように笑って迎えてくれて、しかも新しい、カッコいいデザインのTシャツ姿で出てきたので『カッコイイネ、元気そうだね』と声を掛けると、「荒牧さんにまったく手紙を書いてないくらいだからあまり元気とは言えませんね』とかえってきました。その日の面会時間は30分あってなんとなくザックバランに話しました。お互いに構えず、無理せず、といった空気感ではありました。途中では私の体調(精神の不調について)について私の方が相談し、そんな経験は嫌というほどあるであろう章寛君にその乗り越え方について聞きました。『とにかくストレッチ、特に下半身を鍛える』つまり運動して頭を休めると言ことを心掛ける、というのが答えでした。私もそれしかないと思って心掛けていることで、本当に体を動かして頭を少しでも休めることだよね、と二人して納得したような気がします。いい時もあれば悪い時もある、それがあたりまえだよね、と受け入れるということかな。
その他の雑談をしたり、野球や相撲の話をしてから、元気を出すために絵本を書いて作れないかなー、というような話にもなりました。どうも章寛君は前々から絵本的なものを描きたいという気持ちはあったようです。じけんのこととか、償いとかそういうことも忘れて、、自分の思うがままのものが描けたらいいね、ということと偶々久しぶりに電話で話した、義弟Mさんもそう言っていたよというとほんの少し安心した様でした。本当に取り組めるといいのですが…。今は気力や体力が元気を取り戻せることを願うばかりです。

自分が精神的に大きく落ちこんでみると章寛君がいかに頑張っているのかよく分かる様な気がしました。死刑囚の処遇がいかに過酷なのかということも。人には人が必要だし、やるべき何かが必要です。それらを思いっきり奪って生きて居ろ、というのはとても過酷なことです。

2月10日 今年2回目の面会にいきました。

最近恒例にしているのですが、私の住んでいる中津市と博多の拘置所のほぼ中間地点になる田川というところの私の実家で庭仕事をして一泊し、翌朝博多へ面会に行くという計画で出かけました。ところが田川についてすぐ、博多のタンポポの会の方々から託されていた誕生日祝いの寄せ書き色紙を持参するのを忘れて来たということに気が付いて、結局1日仕事をしてから夜中津に戻って、翌朝再び拘置所を目指すというヘマをしてしまいました。それが今日でした。結果的には途中の渋滞に巻き込まれることもなく10時45分頃拘置所到着。現金の差入れを済ませて11時5分頃には『16番の方4号室へ』というアナウンスがあり、おまけに30分の面会時間ももらえてラッキーでした。章寛君によると年末からずっと各面会者みんな30分面会時間がもらえているそうです。
実はいろいろ気をもむことが重なっていて、そのことは予め手紙で報せてもあったのですが、それに関してどういう反応なのかちょっとドキドキしながら面会室に入ったのですが、出てきた章寛君はとてもさっぱり、すっきりした感じでにこやかに迎えてくれました。
 最初に忘れないうちにタンポポの会の皆さんの寄せ書きを見せました。一人一人の名前をじっくり確認してから「そうかー、34歳か」と感慨深そうにつぶやいてから、同年代のスポーツ選手の名前をあれこれ挙げて、「みんな中堅からベテランですね」「僕もそういう年になったんだ」とつぶやいてました。それからひとしきり大相撲の話になったのですが、章寛君は力士の名前を挙げるときには必ず〇〇部屋の誰々、と部屋の名前を付けます。それだけ詳しい、というのと部屋の育成方針や背景でその力士の成長見込みを予測しているようで、改めて驚きました。多分立派な相撲解説者になれますね。
 そこから今日の重大な話題になったのですが、今のところある人のプライバシーにとても関わることなので詳しく話せませんが、そのことをめぐって、ざっくばらんな
恋愛についてや人への感謝、お互いのコミュニケーションや言葉使いに表れる遠慮などについて、これまであまり話せなかったことが話せて愉しい時間が持てました。(内容については後日発表出来ると思います。むしろ喜ばしいことですので、乞うご期待!)
 さらに時間があったので体調や精神面の不安定のこと、手紙や共命鳥の表紙イラスト等,書ける状況なのかと聞くと、大分改善しているのでやれそうだと、明るい表情で話してくれました。
30分あると本当にゆっくり話せます。感謝?

2022年1月5日 今年最初の面会にいってきました。

 昨年暮れの12月23日に面会に行き、間を開けず1月5日に今回の面会となりました。月末はいつもバタバタして日程のやりくりに苦慮するので、今年から月の初めの方で行くことにしました。
珍しく午後3時ころ到着。結果的に待ち時間も短く面会時間も30分ありました。
 面会室に入ってきた章寛君、上下赤の上等そうなジャージに緑色のダウンを着て、小ざっぱりながらなかなかスマートないでたちで笑顔で新年の挨拶をしてくれました。見た感じも話した感じも元気そうなのですが、内容的にいうと、やはりかなり調子が悪そうです。絵や文字が書けないくらい眼が見えづらく、手も痺れるそうです。年末から年始、外ではいろんなことがあって(集会、取材、色鉛筆訴訟の進展)伝えることが多く、30分という時間もあっという間でした。立ち合いの刑務官を気にしながら話さなければならないことも多くてなんだか疲れる面会になってしまったかもしれません。ここのところ、奥本家を続けて訪問して、お祖母ちゃんの元気な様子を見て来ていたので、その報告は楽しく出来ました。それと、先日(11月27日)朝日新聞で色鉛筆訴訟のことを取り上げてくれた記事の中で、DVDやCDの視聴について日常的にいつでも使える、観られるといった感じで書かれてあったのでそのことについて聞きました。確かに機材は頼めば週2回決まった日にDVDは使用可能で、イヤホンで聞けるそうですが、与えられたものしか視聴できないそうです。アニメ、、ドラマ、アニメ、ドラマといった感じのローテーションで、アニメは名探偵コナン多いそうです。ジブリ系もかなり観たそうです。CDは頼んだことがないそうです。少しでもそうした娯楽があるのは有難い気もしますが、差し入れたものが(テェックした上ででも)観たり、聞いたり出来るといいのですが。他にも大事なことをいくつか話ましたが、それはここでも書かない方がいいと思うので割愛します。体調の不調が続いているのでなんとかそれを脱してほしいと思います。

面会

スケジュール表をめくってみると、9月24日、11月1日、11月29日とこの間3回面会に行っていました。こんなに報告が滞っていたとは・・・。なんとか面会月一ペースは保っていますが個人的な仕事も忙しくてホームページまで手が回りませんでした。印象的だったのが11月1の面会でした。その日は面会後博多の黒原弁護士の事務所で12月集会の打ち合わせもすることになっていました。面会時にトートバッグやミニカレンダーの絵が描けない、体調も思わしくないという話を聞いていて、その辺の事情は黒原さんや河村さんに聞いてほしい、ということだったので少し心配して弁護士事務所に向かいました。結論から言うと体調面でストレスからの影響だろうが目の調子が悪い、体が重い、体を動かす気力が出てこない。運動しないのでよけい気力も落ち込む。絵も描けない。するとますます落ち込むという悪循環のようでした。本人もこれではいけないということで、ストレッチなどを再開しはじめたところ、ということでした。時々そういう状態になってもおかしくない、とは思うのだが、そのストレスの原因は何か、気力が落ち込むのは何故か、という話からとても難しいことだが、やはり本人も我々も罪に向き合い、償いを続けるという作業を、具体的に言うと何故事件が起こったのか、どうすればよかったのか、事件の本質がなんだったのか、本音で向き合わなければならないのでないか、という話になった。話が唐突で恐縮ですが、そこから再出発することや、本音でぶつかり合うことで新たなモチベーションを創っていかないと、このストレスから抜け出せないのかもしれない・・・?模範的な死刑囚像を我々が要求し、それにこたえようとすることが最大のストレスの原因なのかもしれない、と。うまく書けませんがそんな話になり、集会でもそのことを伝えようということになりました。じっくり話せるのは立会人なしの時間無制限の弁護士面会にしかないということで、まず黒原さんが話し合いに行ってくれることになりました。


8月25日 面会にて

朝6時に家を出たのですが、最終的に拘置所にたどり着いたのは10時15分ころでした。途中の八木山バイパスが大渋滞で峠を越えるのに1時間以上かかってしまいました。雨の影響もあったのかもしれませんが、基本的には自然渋滞で、どうしてもこの時間に博多へ向かうとどこかで渋滞に巻き込まれます。さて、拘置所について待合室に入るとけっこうガランとしていて、現金の差入れを済ませて5分もすると。4号室へという案内放送がありました。「今日は20分です」といういつもの挨拶から、まずは緊急事態宣言がまた出たけれど、拘置所は変わりないか、と聞くと「内部でも2,3人感染者が出た模様で食事がまた出来合いの弁当になったということでした。「この前の昼はカップヌードルが出て、何年振りかでカップヌードルを食べました。たまに食べるとおいしいですね」とうれしそうな顔。「僕はほんとうは水でふやかして食べるのが好きです」と意外な食べ方も教えてくれました。つぎに色鉛筆訴訟で新しく協力してくれる西田さんという弁護士さんが会いに来てくれたと聞いていたので、どんな感じの人だった?と聞いてみると「すごく頭のよさそうな感じで、髪の毛が短くて、若いころの有働由美子アナウンサーに似てる感じでした。」ということで親しみが持てたみたいでした。次の話題。今年も本格的なカレンダーは作れそうもないので代案としてトートバックまたはエコバッグプラスかんたんなカレンダーという案について。それでも最低3,4枚の新作の絵を描くそうです。(白黒になると思われます)。多分今年は博多の河村さん中心の制作になると思われます。いつものことですが、あっという間の20分でした。

8月8日毎日新聞ネット配信記事より

奥本死刑囚が黒原弁護士に宛てた手紙の一部

 昨年3月19日から鉛筆削りが所持できなくなり、使用したい時は、8時過ぎから16時30分ごろまでの間に職員さんに申し出て目の前で使用しなくてはいけなくなりました。そして、今年1月から(何日だったかはわかりません)鉛筆削り、鉛筆3本(HB・B・2B)、赤鉛筆、青鉛筆、赤青鉛筆、色鉛筆24色セットが完全に使用できなくなりました。これらについても最低限の告知しかありませんでした。

 色鉛筆26色(24色セット+赤鉛筆・青鉛筆)の代替品としてシャープペンシルが11本追加され、計14本になりました。追加されたのは0・5ミリ芯の赤、青、0・7ミリ芯の黒HB・2B、レッド、ピンク、オレンジ、グリーン、ミントブルー、ブルー、ラベンダーです。ちなみに以前からあるシャープペンシルは、0・5ミリ芯の黒HB・B・2Bです。

 鉛筆削りと鉛筆と色鉛筆26色を自由に使用できていた頃は、毎年、カレンダーを製作してもらい売ってもらっていましたが、鉛筆削りの使用制限が始まる昨年3月19日にそのすべてを廃棄しました。鉛筆削りを自由に使用できないのは絵を自由に描けなくなるため、対応をどう考えてもこれはかなりのストレスになるだろうと思いヤケもあって廃棄しました。昨年はカレンダーが製作できませんでした。

 色鉛筆26色の代替品がカラーシャープペンシル10色(黒は1色と数え)ですが、私はその代わりにはまったくならないと思っています。理由は、色数が26色でも少な過ぎると思っていましたし、コピー用紙か色紙に絵を描くにはカラーシャープペンシルでは硬過ぎるからです。色鉛筆(油性)でも硬いと感じ、不満でした。

 絵を描くのは、私が生きている間に少しでも多くの謝罪金を被害者御親族へお渡ししたいためです。これは支援者がいるからこそ実現させられることですので、支援者がいるかぎり絵を描きたいです。

 絵を描く時は、被害者の元義母と元妻、息子のことを想い浮かべていることが多く、一緒に経験してみたかったな等々と考えたりしています。こうすることでも自分が奪ったモノやコトを感じられ、想像することができます。そのため最初は楽しんで絵を描いていましたが、いつからか苦しく辛くなってきました。絵を描くことは苦手で、絵が稚拙なこともその一因ですね。

 被害者3名とその御親族に対しては、筆舌に尽くし難い申し訳のない気持ちです。被害者の友人や知人方に対しても申し訳のない気持ちです。また、私の親族や友人、知人達に対しても同様の気持ちです。

 刑執行まで手を合わせ続けて、謝罪し続ける以外は何もしないことも可能でして、この過ごし方はとても楽だろうなとたまに思ってしまいますが、私にはこの過ごし方はできません。私の罪は取り返しがつかない、謝罪もし切れない、償えない重大な罪ですが、何にもならなくても私にできる償いのようなことを最後までし続けたいと思っているからです。苦しく辛くても、この世でも償いを続けたいです。

 事件当時と変わったことは…と考え、思い浮かんだのは、体重が減ったことと、浄土真宗を信仰していることだけです。

 今の体重は65キロ付近で増減していますが、事件当時は83キロ前後ありました。宮崎刑務所で拘置中の間に減量しました。最も重かった高校生の時、93キロもありました。拘置中の減量は自己変革の一環でした。

 浄土真宗を信仰するようになったのは、2010年4月(?)の起訴後からだったと思います。実家は浄土真宗本願寺派の寺の檀家(だんか)で、通った保育園は大谷派の寺が運営(?)していたはずです。そのため昔から浄土真宗が身近にありましたが、まったく信仰していませんでした。信仰するようになったのは本当に良かったと思いますが、そのきっかけはこの上なく最悪です……。

 (色鉛筆が使えなくなったことについては)ただただ改善を望んでいます。

令和3年6月23日   奥本章寛


2021年8月3日
面会に行きました。(パソコンが壊れたためこのページも約一年分の報告が失われました)


上記見出しのように約1年分のデータが失われましたので、簡単に振り返っておきます。昨年のコロナウイルスの蔓延の影響で約1か月面会が出来ませんでしたが、その後は月に一回ほどのペースで面会に行きました。直近の面会が2021年8月3日でした。コロナの影響で章寛君の請願作業もなくなってしまいましたし、鉛筆削りや色鉛筆の使用禁止などもあって、絵を書くことも少なくなってしまいました。それでも面会や手紙で知る限り章寛君は元気で前向きに罪と向き合い、自分と向き合っているように思えます。浄土真宗への信仰の深まり、読書やをはじめ旺盛な知識欲も相変わらずです。被害者遺族の方との直接的関係が途絶えましたが、常にMさんのことは頭にあって、少しでもお金が渡せることを願って(絵を描きたい)いるようです。日頃の愉しみとしてラジオ放送は欠かせないみたいで大相撲や野球、それに音楽が心の支えにもなっているようです。
 8月3日の面会もいつもと変わらず元気でした。色鉛筆訴訟の件は本人的には黒原さんにお任せ、といった感じでした。もちろん色鉛筆が前のように使えることは強く望んでいますが。





4月27日 河村さんからの『今日の章寛さん』

4月8日に緊急事態宣言が発出され、弁護士以外は面会ができなくなってしまったため、私ももう1ヶ月近く章寛くんの面会に行けていません。手紙から元気な様子は伝わってくるものの、面会が許可されて以降、こんなに長く会わないのは初めてのことなので、私も少々心配していましたが、先日面会に行った黒原弁護士の話によると、章寛くんは変わらず元気に過ごしているようです。聞くところによると、先日の面会では、裁判の話で盛り上がったのだそう。章寛くんは毎朝新聞を読んでいるので、世間の裁判のニュースにもとても詳しいようです。「勉強したいから先生の使っていない本を差入れてほしい」とのリクエストもあったそうで、さっそく憲法、民法、行政法の本や判例集などを章寛くんへ送りました。なんと、六法全書も買いたいと言っていたそうです。というのも、章寛くんが手元に持っている「判例六法」だと、章寛くんが見たい肝心の法律が載っていなかったり省略されていたりするので物足りないのだそう。黒原弁護士も章寛くんの知識と学ぶ意欲に関心していました。

 後日、章寛くんから弁護士宛に届いたお礼の手紙の中に、「人と会話をするのはとても久しぶりな気がしました。やはり会話は楽しいです。」との言葉。コロナウイルスの影響で、外出自粛要請が出て、人と距離をとるように、などと言われている今、余計にこの言葉は心にズシンとくるものがありました。やっぱり人との触れ合いや会話って大事だよなーと・・・。なんだかこういう状況になってみると、私はいつも以上に章寛くんの境遇について考えさせられたり、章寛くんのすごさを思い知らされたりしています。

毎日暗いニュースばかりなのと、楽しみにしていたゴールデンウィークの帰省もできなくなったことなどから、私もここのところ少々気分がふさぎがちでしたが、章寛くんからいい刺激をもらいました。これは私も落ち込んでいる場合ではないな、この外出自粛をいい機会と捉えて、勉強、読書に励むぞ、とすっかり前向きな気分にさせてもらったのでした。



3月24日面会に行きましたが、会うことが出来ませんでした。

 面会待合室で30分ほど待っていると私の番号を飛ばして、次の番号が呼ばれました。たまにそういうこともあるのであの日はそう気にもせずに待っていると、係官から呼ばれて、『今日は面会出来ないと言ってます』と言われて『理由は?』と尋ねたのですが、わかりません、というばかりでそれ以上は教えてくれそうもないので、諦めて帰りました。これまでに、一回だけ面会拒否的なことがありました。その時は精神的に落ち込んでいて元気がなく、誰にも会いたくないというのが理由だったと後で分かったのですが、今回もそうなんだろうか?それとも・・・といろいろ考えました。『河村さんがすぐにでも面会に行ってくれるだろうから理由はきっとすぐ分かる』と思い直して、わりに平静に拘置所を後にしました。後日、河村さん宛てに速達がとどいたことと、河村さんが直接面会に行って確認したことで理由が分かりました。
 あの日朝、突然『2日間で(請願作業でいつも作っている袋を)300袋を仕上げて欲しい』と言われたのだそうです。普通だと1日100袋出来るか出来ないかという作業らしいので必死でやらないと出来ない量だったそうで、だから今日は誰が面会でも(弁護士さんでも)面会出来ないと思っていたそうです。そういうこともあるのか、と拘置所の対応にいろいろ思いましたが、ちょうど、入れ違いに我が家に“波紋”用のの章寛君からの原稿が届いていて、その文章がとても良くて、私にとってはこれまでやって来たことが全て報われたような思いになるような、そんな文章だったので、私の中で、面会出来なかったことも、本当はその時打ち合わせしたかったあれこれも全部OKということになりました。(もちろん、理由が分かったということの安心感もあって)
 というわけで、直接元気な顔は見れませんでしたが、河村さんによればとても元気だそうです。

2月4日(火)面会に行きました。

 実は1月16日にも面会に行っていたのですが、報告をすっかり忘れていました。申し訳ありません。前回の事などと併せてご報告します。
 今日は朝6時前に家を出て8時半到着の一番乗りを目指したのですが、途中の高速が渋滞で着いたら8時40分、順番は7番でした。残念。待ち時間も45分くらいかかって面会開始は9時40分ころでした。待ち時間の間に共命鳥18号を差し入れておきました。入室すると珍しくマスクをしていました。新型肺炎の影響かと思いましたが、どうも冬場の感染防止で、ある意味通常の措置らしいです。ただマスクで表情が読みとり難い状態でしたが、いつもよりやや元気がないような気がしました。話してみると事件を起こす前の借金が今頃問題になっているらしく、その事を弁護士に相談したいのだが、先月弁護士が来ることが出来なかったので、どうも気がかりが重なっているようでした。10年冊子“波紋”の方の絵や原稿も進まないみたいでした。なんとか2月下旬を目指して欲しいのですが、あまりにも負担が大きいのであれば発行が遅れても仕方ないと思っています。
その他の事としては、最近の共命鳥等のイラストの絵の変化やその心境について少し聞いてみました。私自身が10年の冊子をまとめるために、過去の資料や手紙を読み込んでいるので思うところがあったためでした。章寛君の方もその辺の事を伝えたい心境であったようで、次号共命鳥で書きたいと言っていました。(私には大雑把に手紙で先に少し教えてくれるそうです)
 ここのところ、手紙を読み返している事もあって、彼の心境について、とても大事なことに気がついて来ているような気がします。私(事務局)が勝手に推測を書く訳にはいかないのですが、状況が許せば出来れば近いうちに報告します。
 今思い返しても、今日はやっぱり元気がなかったなー。

12月23日 面会に行きました。

朝7時半、家を出発。今日は「博多へ行きたい」、という娘とその友達を乗せて三人で向かいました。本当はそんなのんびりした気分ではなく、先週20日の御両親の面会の時の様子や、この年末の時期の執行への不安等抱えての少し重い気分の博多行きでしたが、逆にその不安を少し和らげてくれる効果もありました。娘たちは夕方まで博多にいたい、ということで私は、面会後黒原さんの弁護士事務所にこもらせてもらって、10年の歩み冊子の編集方針を練りがてら河村さんにも相談する、という計画を立てました。(昨日の内に連絡は済ませておきました)
着いたのはほぼ10時でした、待合室に人も少なく早く呼ばれるかな、と思っていたのですが、なかなか呼ばれず結局11時ころまで待たされました。待っている間も不安がよぎりますが、逆にこの時間まで『今日は面会できません』というような声をかけられなかったので大丈夫だと自分に言い聞かせていました。面会室に入っていつもの章寛さんの顔を見てようやく本当に安心しました。ご両親の面会時にした会話がとても気がかりだったので、その事を聞くべきかどうかということも考えていたのですが、その必要は無いと判断して事務的なことを優先して話し始めました。(ご両親との会話については後日、報告しても良いと判断した時に報告します。もったいつけて申し訳ありませんが) 内容はカレンダーの販売の様子、次の共命鳥18号の発行予定、来年2月の平野さんを招いての講演会の事、Mさんのこと、そして10年の歩み冊子の事、などでした。10年の歩み冊子のタイトルを本人提案のとおり、“波紋“奥本章寛と歩んだ10年のキセキ、で決定したことを伝えると嬉しそうでした。その冊子用の絵が20枚近くあるが、半分は次の年のカレンダー用に残したい、原稿はあと少しで出来あがる、等いろいろ話してくれました。その様子から今日の面会で一番気がかりだった、この年末の執行の有る無しを気にして動揺したり、不安に思ったりしてないかという、こちらの不安は取りあえず杞憂として払拭された。という顛末でした。不安が無いわけはない、と思いますが、そういったことは見せまいとしているし、同時に覚悟はいつもしっかり持って今を生きている、とも思います。章寛さんの場合、なかなかそうしたことについて本人の口から言葉は出て来ないので伝えにくいのですが、私は凄く立派な態度だといつも感嘆します。
 今日もあっという間の15分でした。章寛さんが面会室を出ていくのを見送ったのですが、横顔とその雰囲気がお父さんに良く似ていると改めて思いました。


11月21日 面会に行きました。

前日、11月20日の夜、黒原弁護士と河村さんと中津市で打ち合わせをしたばかりだったので、その報告、特に急遽作ることになったカレンダーの絵の案についての話に終始しました。最終的に、カレンダーにどの絵を使うかや、構成については事務局にまかせてもらうことで了解をもらいました。何しろ時間が無いのでゆっくり確認を取りながらということが出来ない、ということで納得してもらえたと思います。面会室で待っている時、黒原さんも2件の面会があるということで、(前日聞いていて、私の面会とずらして章寛君の面会は後にする、ということで打ち合わせていました)私の話で伝わらない部分は多分黒原さんがいろいろ補足してくれたと思います。
 “10年の歩み”冊子について、題名を考えて欲しいと以前手紙で頼んであったのですが、章寛君の方から素敵な案が出てきました。
『波紋』という題名で副題が、~奥本章寛と歩んだ10年のキセキ~というものでした。波紋、はもちろん『池に投げられた小石のように、そのことを(章寛君の事を)通して、社会やそれを受け止めた人が”いのち”や人生や、裁判、といったことを考えてくれたら、僕はもう本望です』、と言った章寛君の言葉、その池の波紋を表しています。キセキは軌跡と奇跡の掛け言葉になっていて、その案でよければ表表紙と裏表紙の絵のアイディアも浮かんだそうです。すごく張りきって、前向きに取り組みたいという意志が表情からも窺えて嬉しく思いました。
但し、注意しなければならない点として、やはり丁寧に打ち合わせをしていかないと、本人の思いとずれてしまいそうだという事があります。実は共命鳥17号も無事差し入れとして届いたのはよかったのですが、表紙の絵の向きがちがっていたようです。11月28日に届いた手紙にその事が書いてありました。前回の面会の折り、そのことも話したのですが、私の理解が間違っていたようです。原画とイメージが変わってしまったみたいで申し訳ないことをしました。今回も面会時間が15分で、カレンダー用の絵を見せながら細かく話していたらあっという間に時間が過ぎてしまって、大相撲や健康状態の事など、何も話す時間がありませんでした。アクリル版越しの短い時間では本当に難しい、もどかしい面会です。

10月31日 章寛君から手紙が届きました。


10月29日の黒原さん河村さんとの打ち合わせを受けて、河村さんが31日に面会に行ってくれていろいろと伝言してくれたのですが、それと入れ違いで31日に章寛君から手紙が届きました。手紙にはいつものように、面会のお礼やスポーツのことがさらっと書いてありましたが、その中に更にさらっと、10月25日に最高裁から特別抗告棄却の決定書が(23日付)届いたことも書いてありました。黒原さんが近々来られるでしょうから今後の事について話し合いますね。とだけ添えて。いろいろと不安があって当たり前ですが、言ってもしょうがないし、不安を書きたてても私を心配させるだけ、という気持ちが伝わります。
最近は絵を書くことがややスランプ状態だと河村さんや黒原さんの面会時に言っていたそうで、私の依頼(新しい絵や最近の心境の文章化)がかなりプレッシャーになっているのかもしれないと少し心配です。表現展での受賞が励みになってくれると良いのですが・・・。

10月23日 面会に行きました。

 朝,出かけようとしたら、娘が一緒に博多まで行きたい、ということになって、急遽二人で行きました。そのゴタゴタの影響で出発がやや遅れて、到着は10時。娘は拘置所まで一緒に行って、そこから地下鉄で天神、博多駅方面へ、私は面会待ち合い室へ。今日は28番。1時間待ちは覚悟しましたが、なんとか10時50分頃呼ばれました。待っている間に身体の調子の悪そうな老夫婦がいて、息子に会いに来た、ということ、どうやらその息子さんはすでに別の刑務所に(ということは刑が確定した?)移送されてここには居ないらしい、ということでひどく落胆されていました。それぞれの人生模様をかいま見るような待ち時間でした。
面会室は2号室。入って来た章寛君はうっすらひげをはやしていて精悍な印象でした。最初は車で一緒に来た娘の話から。タピオカ目当てでわざわざ来たことを告げると、タピオカについていろいろ説明してくれました。(私はまだ見たことも食べた事もありませんので)。本当に何でもよく知っています。続いて先日10月21日に弟さん夫婦と三人目の赤ちゃん(まだ生後二カ月未満のはずです)についての話。これで甥っ子、姪っ子には三人とも会えたことになります。多分複雑な思いもありつつ嬉しいことだと思います。何より弟さん夫婦の思いが伝わって来ます。残り時間が少なくなってきたので急いで、必要な確認事項を三点程確認したら、もうほとんど時間がなくなりました。今日の面会の間中ずっと左目のまぶたを指で触って、まぶたを開くようなしぐさを続けていたので、やはりチックの症状が続いているようです。本人も目の酷使とストレスでしょうから仕方無いです、と言っていましたが適切な治療が必要なのでは、と感じます。
 帰りにばったり河村さんと会いました。差し入れ、面会に来た所だったみたいですが、今日は私が先に面会してしまったので差し入れのみとなりました。申し訳ない。やはり私が面会に行く日はちゃんと連絡しておかないとこういう事になりますね。以後気をつけます。



9月26日 面会にて

 前日、田川の実家に泊まって、そのまま博多に向かったので8時40分には拘置所に着きました。3番でした。本当はもう30分早く出て、今日こそは1番を目指していたのですが、30分寝坊してしまいました。途中東浜あたりで高速が渋滞していたことも災いして、目標の開門と同時に入所とはなりませんでした。しかし8時50分頃に1番の方が呼ばれるとすぐに「3番の方2号室ヘどうぞ」と呼ばれたので結果的には一番合理的だったのかもしれません。そうそう、いつも今日は入浴日とか、運動日などと報せる札がかかっている所に今日は「開庁免業日」という札がかかっていたので受付の担当官の方に聞くと、「いや、たんに受刑者の方は仕事が休みっていう事ですよ」と教えてくれました。
2号室に入るとすぐに章寛君も入って来ました。髪型がさわやかなスポーツ刈りになっていて、いい感じでした。髪型のことを聞くと『入所している人が刈ってくれます。次はボウズにしようかな、と思ってます。」ということでした。そうか、入所者の人と接触する機会も少しはあるんだと思い、なんとなく嬉しく思いました。開庁免業日について聞くと『そうです。なので今日は仕事が出来ません』という応え。なるほど、休むより一日でも多く作業がしたいんだと思いました。
3番という早い順番だったおかげか、「今日は30分です」という章寛君からの報せで本番の会話が始まりました。
最初の話題は、弟さん夫婦に3番目の子が誕生、という話題。女の子だそうで名前も教えてもらいました。初めての姪っ子です。それから共命鳥用の絵の話や原稿の話し。今回は2019年版カレンダーの8月の絵についての思いを書くそうです。どなたかからあの絵についての質問があったみたいで、それに応えるためというのもあるそうです。
これまでの章寛君の絵とは異色の抽象的な絵だったので、私もどんな心境なのか考えていましたが、良く分からないまま質問も差し控えていたものだったので、次号の原稿が楽しみです。絵の話のついでに私が先日東京に行った時、『オフレコですけど…』とことわりがあった、ちょっと嬉しいニュースを仕入れてきていたので、章寛君にだけ伝えました。(オフレコなのでここではお知らせできません。)そのことでかなり盛り上がりました。(ウーン、詳しく書けないのが残念)。嬉しい話の後は悲しい話。野球でソフトバンクが優勝を逃したことを横の立ち会いの係官さんともどもしばらく嘆きあいました。続いて大相撲の話題。今一押しは朝の山?関らしいです。こういう話題の時はここが拘置所の面会室だということを忘れてリラックスできます。ほんの少しのそういう時間も大切だと思います。
最後にこれからまとめようとしている、10年の更生の歩み冊子、について話し合いました。少々難航しているので遅れそうだけど来年春の発行を目指してがんばるということ、章寛君の方は年末までに12枚から15枚くらい絵をしあげるということと、今、現在の心境や思いを出来るだけ気張らずに書くということを約束してくれました。実のところ、私の方がなかなか前に進めていない現状なので、気合を入れて取り組まないといけない状況です。「夕方飲んじゃうと何も出来なくて・・・」とぼやくと、「じゃあ、断酒して・・・(笑)」とはっぱをかけられました。
 今日も私の方が励まされる面会でした。

8月28日章寛君からの手紙

8月28日に手紙が届きました。今回の手紙には前回の私の面会時の会話についてと、その後送った手紙についての感想が書かれていました。
風邪気味だったことについては2週間くらいかかったけれど今は本調子に戻ったそうです。前回の面会時に執行があったことについて「大丈夫?」という質問に「ホークスが負けたことのショックの方が大きい』と言ったのは、荒牧を安心させるためで、贔屓のチームが負けたことと,死のショックでは意味合いが全く違い、一緒くたに語るべきでは無かった(冗談や安心させるためとはいえ)と、後から気づき反省したそうです。死についての方が心底悲しいです、と書いてありました。いつも、とっさの判断で相手を悲しませまい、心配させまいとしてしまうのだろうと思います。私もその場で調子を合せたり、ホームページで安易な報告をしてしまい反省しています。
私の手紙については、その中に”常盤先生“という名前(オークスメンバーであり、中学時代の恩師」に懐かしくもあり嬉しい気持ちになったそうです。私が下手なギターで唄った、というくだりに自分もラジオを聞く機会が増えてギターやウクレレで弾き語りたい、奈津代さんとセッションしてみては?と嬉しいことを書いてくれていました。
最後に26日に食べた鯖の骨がのどに刺さっていて痛みが・・・、一難去ってまた一難、トホホだそうです。
 反省したり、風邪や魚の骨で苦しんだりいろいろですが、そんな日常が伝わってきて嬉しい手紙でもありました。

7月27日 章寛さんからの手紙が届きました。

博多での集会に参加して戻ってみたら章寛さんから手紙が届いていました。文章を全文掲載というわけにはいいきませんが、省略してお伝えします。
冬より暑い夏が好きだということ。暑ければ暑いほど食欲も増す。荒牧さんはきっと、暑ければ暑いほど飲酒欲が増すでしょうね。(正解!)
 梅雨明け前は夜涼しくて楽でしたが最近の蒸し暑い夜は好きになれない。
17日に手紙を受け取り、共命鳥他は18日に受け取った。
連載の文字数は800字でいいですか?(普通に手紙として書いてみてくれるみたいで事務局も嬉しい。この次は無事に届くといいのですが)
令和になってまだ半年にもならないのに、重大事件がもう何件も起こりましたね。
心底悲しいですが、命ある限り本当に必死に生きなければと思わされます。


 短い手紙ですが、こころのこもった手紙でした。
生きるということについて、いつも考えさせられ、励まされる事務局です。

7月10日 面会にて

 朝5時半に家を出ました。途中実家に寄って簡単に仕事の段取りをして(庭仕事)それから博多へ向かいました。着いたら8時40分。今日は1番かもと思いましたが、4番でした。さらに手荷物検査のとろで、たばこは持って入れない、禁煙になりました、と言われてなんだか、ちょっとギクっとしましたが,
気にせず差し入れ窓口へ。法人解散にともなって残っているお金を清算しなければならない、ということなので来年3月までの差し入れとMさんへの送金分を併せた額を差し入れました。これで法人としての残額は税金滞納分を除いてほぼなくなりました。新しい会で新たに資金集めから始めなければなりません。
9時15分ころ「4番の方2号室ヘ』ということで、さすがに早く面会出来ました。
入って来た章寛さん、髪が少し伸びて(といっても3センチくらいですが)毛の量が多いので凄く濃い感じがします。今日は入浴日だったので、いつにもまして、顔つきや肌の感じはさっぱりしていました。
「今日は20分です」といつものように教えてくれました。
まず、今日は多額を差し入れたこと。(と言ってもそんなに大した額ではありませんが)その理由は上記のような事、と伝えると、「Mさんはまとめて必要だと以前言ってましたが、大丈夫ですか?」ときかれたので、今までどおり、毎月に分けて請願作業分と併せての額を宅下げ、送金した方がいいと思う、という事と、本当にどうしても必要という時は別途考える。但しオークスの財源もいったんすっかりなくなるので、がんばってお金を集められたらね、、、という話になりました。いつもMさんのことを真っ先に気にしてます。チックの方は大丈夫?と聞くと「河村さんに頼んで資料を入れてもらって読んだということ、いくつか心当たりがあったので、まず目を休めるように心がけている。請願作業の途中でもなるべく遠くを見るように心がけている。という事でした。遠くって、窓から外は見えるの?と聞くと全く見ることが出来ないので、部屋の天井の隅が一番遠くであるということでした。私はタバコの件で少しきついな、なんて感じてましたが、全くそれどころの話じゃない、というか、比べること自体が・・・と少々恥ずかしくなりました。ただ、もう一つ、漠然とですが、拘置所の雰囲気が少し硬くなっているような気もしましたが、気のせいだといいのですが・・・。
 処遇に変わりは無いか?例えばラジオなどは今までどおり聞いている?と聞くと変わりない、夕方4時から6時までNHKで大相撲、(今は政見放送が1時間あるけど)夜は9時までRKBでソフトバンク戦、その他FM福岡等も随時流れるそうです。相撲と野球は共通の愉しみなので話が盛り上がりそうだったのですが、無情にもここで時間切れでした。以前章寛さんが書いてたみたいに、コーヒーでも飲みながらせめて一時間くらいまったりと話せるといいのですが・・。
帰りに黒原弁護士事務所によって、ほんの少し河村さんと会って帰りました。

6月19日 面会にて

 原稿用紙に書いた原稿の発送不許可問題後、待っていた手紙も来ることが無く一カ月が過ぎてしまいました。更に何かあったんだろうかと、心配しながら面会に向かいました。家を早くでたので拘置所には9時頃到着し、待ち時間もそれほどないうちに「6番の方6号室ヘ」というアナウンスで面会室に向かいました。入室すると章寛くんいつも通りの笑顔です。いつものことですが、まずそこで一安心。今日は20分です、と章寛くん。早速手紙を待っていたことを伝えると(これまで面会に行った後一週間以内には大概お礼の手紙が届いていました)、実は章寛君の方も今回は私からの手紙を待って、それから書こうと思っているうちに日がたってしまった、ということでした。一番恐れていた手紙自体が発送不許可等という事はありませんでした。原稿用紙問題にはあえて触れず、雑談的な話と今書いている絵の話や、これからまとめていきたいこれまでの歩み的冊子の話になりましたが、そんな話をしているうち、実は左目にチックのような症状が続いていたこと、少し自分に負荷をかけすぎていたのか、それがストレスになっていたのかもしれないので、最近ゆっくり過ごそうと努めていたら徐々に目の状態が改善してきたそうです。突っ込んで聞くと朝起きてから、請願作業6時間に絵や手紙等書き、写経や日誌等にプラス読書で一日がかなり濃密で忙しい?というのも変ですが、ずっと自分を追い込んで来ていたみたいです。多分、福岡拘置所に入ってからずっとそういう日常だったと思うのですが、それが長年にわたる疲労やストレスの蓄積になって、チックの症状として出ていたのかもしれません。我々に見せる表情はいつも明るく元気な様子ですが、やはり当然過度な緊張の中に居るのだろうと改めて思いました。それでもいつまでに今年の絵を書きあげればいいですか、とかそのまえにクリアファイルを作りましょう、等前向きな話をしているうちに、あっという間に面会終了時間が来てしまいました.
原稿用紙での原稿発送不許可問題は、心配ですし、やや不本意ではありますが、問題として(抗議や撤回を求める)などの行動はとらないことになりそうです。このまま様子を見る。章寛君に精神的にも肉体的にも健全に過ごしてもらうという事が優先だと、私も思いました。

5月13日から16日

 連休に入る前、共命鳥用の原稿のみが発送不許可になったという情報が入り、ずっとやきもきしていました。黒原弁護士にすぐ相談して、拘置所側の意向や状況を確認して欲しい旨、伝えてありましたが、何しろ10連休に入るということで、お手上げだという状態で確認が遅れました。13日から連続でそれぞれ行ける人がいって話をしてきました。
 発送不許可の件は活動報告の方で詳しく書きますが、章寛くん自体は不当な扱いにもめげず、基本的に変わらず元気に面会室に出てきてくれました。事務局が訪れた15日は午後一番に福岡に行ったのですが、30分も面会時間がありゆっくり話すことが出来ました。久しぶりに運動に外にも出たそうですが、すでに暑さにめげそうだったといっていました。室内での運動は毎日欠かさずやっているということで、引き締まったいい顔をしていました。原稿発送不許可の話をじっくりしたいのですが、その日に限ってやたらと立ち会いの係官がこちらをしょっちゅう見るような気がして、微妙なところが話せません。横目で係官の様子を見ながら、私の方は”気になってつっこんだことが話せないでいるよ”という気持ちを伝えたつもりなのですが、うまく伝わったでしょうか?
 章寛くんの意向としては、無理をせず事務局宛の手紙の中で表現出来ることを書くので、そこからくみ取って欲しい、掲載についてはおまかせする。逆に共命鳥が差し入れ出来るかどうかは拘置所の判断にゆだねる、ということでした。春号と夏号は7月ころ合併号にしては?という提案でした。章寛君がそういう意向であるならとにかくその方向でやってみようと思います。
その他の話としては、今年はクリアファイルを作ってみませんか?という提案もありました。現在、大相撲の横綱土俵入りの、雲竜型と不知火型の絵を描いているそうです。
 理不尽なことがあっても、さっぱりと割り切って”獄に入れば獄に従う”です、と笑っていました。良くも悪くも章寛くんらしいと感じます。

4月10日 面会にて

 個人的に企画していた(もう一つの次郎物語)という友人とその障害のある息子さんを主人公にした、上映会と講演が4月6日までに無事終了して、ようやく章寛くんの面会に行けました。
 この間、京都の平野さんから『奥本さんにも是非伝えて欲しい』という、ある人との手紙のやりとりの内容を章寛くんに伝えようとして、一度はそれを記した手紙が不許可となってしまい、大幅に書き換えて(内容は出来るだけ忠実に再現して)私の個人的手紙として送ったりしていました。プライバシーの関係でここでは公に出来ませんが、とても意味のある深いやりとりで、私もなんとか章寛くんに伝えたかったものでした。そのことや、被害者遺族Mさんへの送金の方法、面会の時期などをめぐっていくつも行き違いがあって、あれやこれや確認することだらけで、20分の面会時間もあっという間に終わってしまいました。そのやりとりについては活動報告の中に事務局の書いた章寛くんへの手紙を掲載して報告に代えたいと思います。ただ今日の面会で改めて彼の覚悟や、ぶれない意志が確認できてとても良い面会になりました。とても良い表情をしていましたし、元気でした。

3月13日 面会にて

ちょうど、1ヶ月ぶりに面会に行きました。朝6時半に家を出て面会待合い室に入ったのが9時でした。6番でしたが、ドアを開けたら誰も待っている人がいなくてびっくり。5番までの人たちはすでに面会室に入っていました。
差し入れ金など差し入れて、トイレに行って用をたして何を話すのか確認していたらすぐに「6番のかた、2号室へ」という案内が聞こえました。面会室では章寛君が入ってくるなり、開口一番「荒牧さん、速達を出しました?」と聞いてきました。実は先週からKさんにいろいろと連絡を頼んでいて、月曜日にそのKさんが面会に来てくれていて荒牧が速達を出していること、、水曜日に面会に行くことも伝えてもらっていました。届くかどうか心配していたのですが案の定、残念ながらその速達はまだ本人に届いていなくて、その中身について簡単に口頭で伝えました。今回の速達は私信とある人の私へのメールを印刷したものだったので、もしかしたら、検閲でひっかかってしまったのかもしれません。長文だったのでやむを得なかったのですが、もし届けてもらえないなら何らかの工夫をして出し直そうと思います。とてもいい文章なのでなんとか章寛君に届けねばなりません。その他の主要な話としては今年のカレンダーの出来映え、受け取った人たちの感想、次のカレンダーをどうするか・・・など,カレンダーについての話が多かったです。あ、ただ、日常的な話として、豊前の私たちの店、ティアーズカフェに、一番下の弟さんの奥さんが友人と遊びに来てくれて、初めて親しく話したことを伝えると、「今度9月に三人目の子が生まれるんですよ」と嬉しそうに話してくれました。
速達が届けられてなくて、中途半端な感じは否めませんでしたが、元気そうでした。

PS、博多のタンポポの会の人たちが、誕生日に向けて書いてくれた寄せ書きを持っていって見せることは出来ました。一人一人の名前を確認して(残念ながら顔の浮かぶ人はいないのですが、)この人は手紙をやりとりしていた人、この人は切手を差し入れてくれた人、などいろいろと思い浮かべていました。私の方でも知っている限りの補足をしました。

2月13日章寛さん31歳の誕生日、面会に行きました。

仕事の都合上、この日にしか行けない、というのが丁度章寛君31回目の誕生日と重なりました。拘置所に着いたのが、11時少し前ということで遅くなってしまい、今日は30番。いつものようにその筋の方々が多く待っていて、何度も顔をあせた人が何人もいます。12時近くなってもうすぐかな、という時になんと黒原弁護士が面会室から出てきました。聞くと「別の人の面会を先に済ませて、章寛君にもと考えていたが、これから飛行機で東京へ行くのに間に合わなくなったので面会出来なくなった。そのかわり誕生日祝いに、差し入れ出来るお菓子を一種類づつ全部買って差し入れた」ということでした。黒原さんとも滅多に会えないのでなんだかんだ話して一番大事なことを伝えようとしていると「30番の方ー」とアナウンス。挨拶もそこそこにあわてて面会室へ、ということになりました。
出てきた章寛君はマスクをしていました。インフルエンザを警戒して房から出る時はマスク着用なのだということで、本人は元気でした。後から思ったのですが、、この日の印象で何か違うな、と感じていたのは笑顔が見れなかったせいで何か硬い感じだったということでした。最初に目があった瞬間の笑顔が無かった(口元が見えなかった)からだろうと思いました。そして、章寛君の開口一番の二つの質問。「あんなにいっぱいの差し入れは荒牧さんですか?」というのと、「今日、面会に来るという報せのハガキも荒牧さんですか?」 差し入れの件は先程の黒原さんとバッタリ会ったことの説明で了解してもらいましたが、ハガキの件はこちらがキツネにつままれたみたいでした。いろいろ話してみて分かったのは、あわてものの私がハガキに差出人の住所も名前も書いていなかった、ということでした。それなのに、よく、本人のところへ届けてくれたな、と二人で感心しました。しかも使った絵ハガキは同じく福岡拘置所に収監されている死刑囚、金川一さんの支援絵ハガキでしたから、余計混乱したのではないか?拘置所の方で文面だけで察してくれて、届けてくれたということで、日頃厳しい、規則に則った対応をする拘置所がよくぞ、届けて下さった、とこの日ばかりは感謝し、感心したというわけです。これも誕生日プレゼントだったのか、あるいは章寛君がよほど信頼されているのか・・・?なにしろ有難かったです。
そんなわけで、肝心の面会内容としてはほとんど大した話も出来ませんでしたが、直接会って、「誕生日おめでとう」と言えたことだけは良かったです、というしまらない面会報告でした。

2019年1月7日 面会にて

 年があけて、今年最初の面会に行きました。この時期の福岡にしてはめずらしい、素晴らしく良く晴れた暖かい日でした。拘置所に着いたのは9時50分ころでしたが、年明けということもあってか大変多くの人が待合室に座っていました。いつものようにその筋の方たちと、冬休み期間ということもあってか小さな子も何人か来ていて賑やかでした。そんな中、たっぷりある待ち時間を利用して、『悲』をじっくり読みこみました。この手のものを読むには拘置所というところは一番適しているかもしれません。「23番の方」と呼ばれたのは、11時15分ころでした。
 出てきた章寛君は「明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします」ときっちり挨拶してくれて、「今日は15分」です、とこれは毎度のことですが、面会時間を伝えてくれました。顔色も良く風呂上がりかなと思うくらいさっぱりした感じの顔をしていました。(待合室には今日は運動日と出ていたので入浴後では無いはずです) 短い時間の中で雑談をし、12月に行って来た熊本、宮崎の話をし、ひとしきりMさんの話をしました。Mさんが現在も生活苦から抜け出せそうにない状況を伝えると、「なんとか少しでも送金の額を増やせるようにがんばります」ということでした。
 待合室で「悲」の中の平野さんや菱木さんの文章を読みこんだことと、このところずっと考えている事が重なって章寛くんに次のような事を伝えました。「章寛君の支援はもちろん続けるのが前提だけど、オークスとしてもっと活動の幅を広げたい気もしている。例えば加害者家族支援とかも。しかし、実際ハードルは高い。何より章寛君がどんなことを考えているのか、反省や謝罪の気持ちをどんな形で社会に伝えたいのか?絵を描くことや文章を描く事も
その表現の一つだが、さらにより具体的なことがあればそれを伝えて欲しい」といった趣旨のことを。章寛君はとても神妙な顔で聞いてくれましたし、「考えてみます」とも言ってくれました。あと3分というところで話し始めてしまったので最後は尻切れトンボでしたが、これから手紙や他の人(ご両親やKさん)の面会等を通じて確かめていきたいと思います。こちらの期待に応えようとして、あまりいい子になっても困るので章寛君自身の思いをじっくり深めてくれたら・・・と思っています。

12月13日 第24回くるま座座談会 開催しました。

 天気と寒さが心配でしたが、久々にオークス事務所で行いました。岸本さん宮崎さんは参加できないという事でしたので、10日に1時間だけ限定で必要なことだけ連絡しました。
当日は奥本夫妻、矢鳴夫妻、野中夫妻、常盤先生、福田、荒牧といったメンバーでした。議題は
第2次再審請求について、


12月7日 面会にて

 今にも雨が降り出しそうな、12月の博多を象徴するるような、いよいよ冬が来たな、という感じの一日でした。
拘置所到着がちょうど10時くらい。番号は12番と比較的若い数字でした。これなら結構早いかなと思っていたのですが面会室に入れたのは10時45分ころ。後で分かったのですが、黒原弁護士が朝一番で面会に来ていたらしく少しかぶったみたいでした。
差し入れ現金と頼まれていた通信「悲」をまとめて差し入れして順番を待っていました。先日もそうでしたが、今日もたくさんその筋の方々がいて待合室を占拠?していました。余程大物がいらっしゃるのでしょうか?
 時間は15分、ということで今日も大急ぎで話します。実は我が娘が中学3年生で、今通っている中学は章寛君の卒業した学校でもあります。最近その娘がやたらと章寛君の事を知りたがったり、会いたがったりしているという事を手紙で報せていたのですが、それへの返信に『昔自分が中学生の時、学校の壁に穴をあけてしまったのだが、もしかしたら体育館に一枚だけ色の違う壁が、まだあるかどうか娘さんに見てきて貰えないだろうか?」と頼まれていました。娘にその事を伝えて見てきてもらうと、やはりそういうところがあった、ということでその話をしました。章寛君は凄く嬉しそうな笑顔で「実は友達と遊びでバッテリーを組んで自分が捕手だったのですが、ピッチャーの彼が大暴投して壁に穴があいて、翌日校長室に呼ばれて・・・」と懐かしそうに話してくれました。私の方からもう一つの話題。昨日お店にお客さんが見えて、お互い初対面の方だったのですが、その方がやはり中学時代章寛くんに剣道を教えて下さった方のお姉さん、であり、更にその恩師の方の息子さんが章寛君の同級生であり、また私が福祉施設で働いていた時の恩人であり、一緒にギターで拓朗の歌なんか歌った友達でもあったということ。その方はちょうど章寛君の裁判員裁判が結審するころ亡くなったのですが、『もうすぐ、あいつの裁判の判決が出る・・・』とずっと気にしてくれていたことなどをこの時期には思いだすんです、というような話をした事などを伝えました。私もびっくりするような出会いでしたが、章寛君も驚いている様子でした。今もこうして拘置所で頑張っています、ということももちろんその方に伝えましたが、その方もとても喜び、これからの支援も約束してくれました。そんな話をしていると、あっという間に時間が経ってしまいます。
肝心の再審請求の話やカレンダーの製作の経過報告などは残りの数分で駆け足で話しましたが、午前中の一番に黒原弁護士が来たという事と、どうやら今日にも宮崎地裁に再審請求を提出するらしいということだけ聞いて面会室を後にしました。

12月3日  再審棄却について。Kさんが面会に行ってくれました。

 慌ただしい一日でした。第一次再審請求棄却の報せはありましたが、肝心の章寛君がそれを知っているのか?知っているとしたら動揺してないか、大丈夫か?さらに第2次再審を急ぎ提出するかどうか、5日の朝一番に黒原弁護士が面会に訪れる、といったことも事前に知らせる必要があるということで、急遽Kさんに面会に行ってもらいました。その時の様子をKさんから電話で報せてもらいましたので、ご報告します。
 3日の面会は空いていたらしく30分も時間がもらえたということ。最初いつもの世間話しになりそうだったので、Kさんの方から思いきって再審棄却の事を切り出したところ、章寛さんもすでに知っていたし、まったく動揺したりする様子もなかったという事でした。むしろKさんの方が落ち着かせてもらえたということでした。感動したことに章寛君によると再審棄却の報せがあってから、刑務官の方々が代わるがわる声をかけてくれて、『大丈夫か?』「動揺してないか」等など心配していてくれたそうです。『僕は大丈夫です。きっと外の人たちがいいようにやってくれます』みたいに答えたそうです。その後は普段通りの話をして、来年はこんなことをしたい、絵はあんな風に・・・等希望にあふれた?ような前向きな話もしたそうです。Kさんはその落ち着きぶりに改めて感心したと言っていました。。その話を聞いて共命鳥14号に書いてあった章寛君の言葉「泰然自若」という言葉が浮かびました。さらに浄土真宗で明治時代に活躍した清沢満之という人の言葉『天命に安んじて、人事を尽くす』という言葉を思いだしました。深く阿弥陀仏に帰依して大安心の中で生きた人の言葉です。章寛君はもはやその境地に近づいているのかもしれません。凄い人だよね、とKさんと頷きあいました。まずは一安心でした。


11月27日 面会にて

 今月は遅くなってしまいましたが、ようやく面会に行くことができました。実は11月になってから2019年版カレンダーの製作をめぐって、手紙のやり取りは頻繁に行っていたのですが、お互いに入れ違い、入れ違いが続いて章寛君からは3通の速達、わたしからは2通の手紙と、ご両親や面会が出来るようになったKさんへ言づけを頼んだりして、なんとか早く連絡を取ろうとしてきました。27日の面会と、さらに昨日届いた章寛君からの手紙でようやく意志や経緯、真意が分かったという顛末でした。
 何故、そのように混乱したかというと、まず、カレンダー用の絵の到着が遅かった事。その理由はせっかく書いた絵が拘置所内での保存状態が悪かったらしく手直し、書き直しが生じてしまったことでした。こちらもやきもきしましたが、最終的には章寛君も急ピッチで仕上げていったようです。無事に全部の絵が揃ったのが、11月26日で、その前に私が印刷屋さんに相談に行って『来年4月始まりにしてゆっくり製作した方がいいですよ』というアドバイスをもらい、そう決断したことを伝えることが2度3度と入れ違いになったのでした。
その他にも、これまた実は、ということですが、私が共命鳥14号を章寛君にだけ送り忘れていたという事もありました。前回も遅くなっていたので、今回は1番に送ったつもりになっていました。全く申し訳ない事でした。今回来た手紙の中で「また忘れられたら電報を打ちます」(笑)、と書いてくれていてほっとしました。
そんなこんなありましたが、基本的にはとても落ち着いていて、前向きですし、Kさんとの面会が許可されて、Kさんが週に1回くらいのペースで面会に行ってくれているらしいこともあってか、心から明るくなれているような気がします。カレンダー用の絵だけではなく次のうちわ用、あるいは来年は別のものになるかもしれませんが、とにかくそういったことに対しても非常にやる気にあふれています。
執行停止署名を提出したことも伝えると、皆さんに深く感謝すると同時に申し訳ない、という気持ちであると伝えてくれました。
 今回も15分で、ほとんど事務的な話ばかりで終わってしまいましたが、最後に来た手紙に
「これからは荒牧さんにももっと気楽に手紙を書きます。(Kさんと同じくらい、というわけにはいきませんが(笑)と書いてあり、なんだか嬉しくなりました。


見出し

章寛さんがKさんに宛てた手紙の一部を・・・。

 章寛さんとKさんそれぞれに許可と協力をいただいてここで少しだけ皆さんにご紹介します。この手紙は面会許可が伝えられる直前のものです。

K 様
お手紙を1日に受け取りました。有難うございました。 肌寒いと感じることが多くなってきていて、布団の中が心地好くなってきました。朝、目が覚めた時、あまりの心地好さにこのまま永眠できたらなと思ってしまいます。(苦笑)。中略
『スラムダンク』の差し入れ、有難うございます。1012巻は読み終え、1315巻は明日(5日)手元に届きます。『スラムダンク』はとってもおもしろく、ますます好きになりました。
飲食物とクツ下が手元に届くのは明日です。(中略) 先日、DVDで歌番組(約2時間のテレビ番組を録画したもの)を視ました。僕の繊細な琴線に触れたのは、ゆず、西野カナ、『手をつなぐ理由』平井堅、『ノンフィクション』、竹原ピストル『AmazingGrace 』です。竹原ピストルが歌うところを映像で見たのは初めてかも。声が好き、歌い方も好き、ギターの音をマイクで拾うスタイルも好きです。見た目もすべて“漢”って感じです。数年前から西野カナの歌がいいなと思っていますが、Kさんはどうですか?
 9月中に面会申請の許否の告知があるだろうと思っていましたが、告知は現在までありません。『面会は9月になったら』と言っていたのにと、考えるとイライラするだけなので、その言葉はもう忘れた方がいいのかもしれません。気長に待つことにします。面会が出来るようになった後、お互いにアニマロジーを見返すのでしょうかね(笑)
 僕が毎日欠かさないのは野菜ジュースです。週6日は「野菜一日これ一本」あと1日は「100%野菜ジュース」です。刑事施設で生活するようになってから野菜ジュースが大好きになりました。
 プライドかぁ・・・、僕は最低最悪な人間、父、夫、男だと思っています。事件後に気付きました。Kさんの予想通りです。さすがにもう僕はプライドを持てそうにないですし、持つ気も無いですよ(苦笑)Kさんはどうですか?  Kさんも元気で。


10月15日 K さんとの面会実現

 二人が待ち望んでいた面会が実現しました。その日の詳細は活動報告にKさんから事務局に届いたメールを転載させてもらいましたので、そちらをご一読下さい。これまでの経緯や二人の手紙のやり取りなどを知る者として嬉しい限りです。変化の乏しい拘置所での毎日にきっと大きな意味を与えてくれる面会の実現だと思います。章寛さんが償いの人生を全うしていく上でのおおきな力になると思います。そして何よりこの面会をとおして少しでも喜怒哀楽、感情の波、というごく当たり前のことを章寛さんが味わう事を願ってやみません。

10月11日面会に行きました

 この日、受付を済ませて62番の札をもらって面会待合室に入ると待っている人が誰もいませんでした。なにか不思議な気分でしたが、差し入れを済ませて戻ったらすぐに「62番の方6号室ヘ」とアナウンスがあり、即面会となりました。拘置所に到着してからわずか10分たらず。こんなことは全く初めてでした。
「今日は20分です」と章寛さんもにこにこしながら開口一番そう伝えてくれました。
カレンダーの絵の事をひとしきり話した後(書き溜めておいた絵の保存状態が悪く手直しに手間取っている事など)
現在いろんなことを整理しているらしく、住民票を移したり、宮崎時代の銀行口座を解約したりしていること、ご両親への伝言として戸籍謄本をとって来て欲しい、というようなことを頼まれました。真意はよくわかりませんが戸籍も抜いてすべて拘置所に集約したいみたいでした。このへんの気持ちは次回共命鳥に書くと言っていました。解約した口座の一つにだけ2万円か3万円残っていたということで、それを黒原事務所のKさんに宅下げして冬物のジャージの差し入れを頼んだ、と嬉しそうに話してくれました。そこからKさんとの面会が叶うといいね、とか手紙のやりとりのこととかの話をしたのですが、(活動報告にもありますように)その日面会終了後に私はばったり、まさに冬物ジャージの差し入れに来たKさんと出会い、章寛さんは別室に呼ばれて「Kさんとの面会を許可する」と告げられたのだそうです。(後日私にもその事を知らせる手紙が届きました)。朝からの一連の出来ごと、面会室の空白、Kさんの事など不思議なめぐり合わせの1日でした。

9月の章寛さん  手紙より

 9月は共命鳥14号用のイラスト、原稿等含めて3通の郵便物を受け取りました。相変わらず律儀な文面であり
真面目?な生活態度です。今回の共命鳥の表紙やエッセイの内容などからみても気力、体力充実しているようです。2019年版カレンダーのための絵も随分進んでいるようですが、手紙によると保存の状態が良くなかったらしく現在最終的な手直しをしているらしいです。大好きな大相撲ではきせの里関が復活して来場所に期待出来そうなことを喜んでいました。私に気を使ってか、ソフトバンクの必死の追い上げにも触れてくれていました。手紙の交流の許可されたKさんとは頻繁にやりとりしているようで、そちらはKさんが嬉しそうに報告してくれました。そのうちKさんにお願いして一部分だけでも、ここで紹介出来ると良いのですが・・・。
安定した精神と体調を維持して、内面の深まりも感じられる頼もしい昨今の章寛さんです。

9月14日面会にて

 朝早くに家を出たので今回は9時前に拘置所に着きました。それでも8番で40分程待ちました。いつものように現金の差し入れ窓口に行き、トイレを済ませ待合室で今日伝えることをノートに整理し、後は周りの人たちの様子を見ながらその人たちの背景にある事やなんかを勝手に想像しながら呼ばれるのを待ちます。「8番の方2号室ヘ・・・」というアナウンスを聞いて面会室へ向かいます。今日は本来ご両親が面会に来る予定だったのですが、稲刈りをしなければならない、ということで急遽私が来たことを伝えると、すでに葉書が届いて知っていたことと稲刈りと聞いて、納得の苦笑い?を浮かべました。章寛君の方からは今年のカレンダーの製作について注文がありました。その一つで表紙の 2018奥本章寛CALENDARという部分から自分の名前を削除して裏表紙か、表紙の下の方に小さく表記してくれないか?という提案でした。理由はなんとなく気恥ずかしい、ということでした。さすがにそれは・・ということで保留になりましたが、もしかしたら画集も出そうか?ということも話題にあがっているくらいだから
恥ずかしい、なんて言ってられないよ、ということ。それから罪を償なっていくということは、絵を描いてそれを販売して被害者遺族に届ける、という形だけではなく今の章寛君が感じたり、考えたり、反省したりしているそのことをもっと表現し、社会に伝えていくのも大事なのでは・・・。だからもっと、堂々と?表現して欲しい、というようなことを伝えました。もう随分面会を重ねていますが、アクリル版越しにこういうことを言葉にしたのは久しぶりでした。大事な事だとは思っていても本人の思い以上の過度な要求になるのを恐れるからですが、今の章寛君ならきっと大丈夫だろうとの思いでした。ちょっと硬い話になったので最後は今始まっている大相撲の話題とソフトバンク(野球)の追い上げ、の話などして面会室を後にしました
 帰りついてからご両親のところへ報告にも行きました。

7月25日 執行停止の要請書への署名活動を開始しました。

 このコーナーに掲載するのが適切か否か迷いましたが、あえてここに署名用意の全文と添え書きを掲載します。

奥本章寛死刑囚への死刑執行の停止を求める要請書

2014年10月16日、最高裁判決により死刑の確定した奥本章寛さんは、現在福岡拘置所において後悔と反省の日々を重ねています。
義母からの執拗な叱責や差別的発言があったとはいえ、義母のみならず妻と生後5か月の我が子までも殺害してしまったその罪は重大と言わざるを得ません。そのことは本人が一番自覚しています。事件後、『自分は早く死ぬべきだ』と覚悟を決めていましたが、家族、弁護士の励ましと、多くの支援者との出会い、『生きて罪を償って欲しい』、『それでも生きるべきだ』と言う声に促され、また妻の弟であるY氏からの「まだ死刑と決めないで欲しい、一審に差し戻して欲しい」という最高裁宛ての上申書が、彼に『潔く死ぬことはやめました』という心境の変化をもたらしました。
彼の手紙の中にこういう言葉がありました。『残りの人生を一生懸命生きます。その人生とは自分の人生を、ではなく償いの人生を、です』と。
彼は現在この言葉どおりに反省の日々を重ね、写経・読経を習慣とし、被害者遺族への弁済金のために請願作業をしながら、カレンダー等を制作販売するための絵を描くなどして、がんばって生きています。彼にとって、生きることは刑を執行されて死ぬよりもつらいことかもしれなません。しかし、それでも償いに向けて精一杯生きることを決意しています。犯した過ち、償いきれない罪に向き合って、呻吟しながら生きようとしている一人の人間を死刑制度という名のもとに、簡単に死刑にしてしまって良いのでしょうか?大袈裟かもしれませんが、人類の精神史的発展を考えた時、人を殺す、という重大な罪を犯した人間だという理由で、誰かが又その人を殺してしまってそれでけりをつけるというのは、まさに最悪ではないでしょうか?報復が連鎖する社会を未来の世代に残したくありません。

宮崎家族三人殺害事件とその裁判に関わり、支援をとおして奥本章寛という人間の事件後の生き様、成長を知る者として、以下の理由により彼に対する刑の執行停止を求めます。

1、    奥本章寛さんは自分の犯した罪に真摯に向き合い、深く反省し、償いに向けて深く生きています。 彼は最後まで「生きて罪を償っていく」べきです。

2、    そのような人間を国家が、あるいはおなじ人間が判断して死刑にすべきではありません。

3、   重大な罪を犯した人間も環境や関わりを整えれば必ず更生し、再生することが出来るという事を証明する事例となりうるよう、私達も彼の償いや更生に向けて共に歩む決意でありますし、社会全体がそこへ向けて意識性を高めていく必要があると考えます。

4、     死刑制度の廃止・停止は世界的潮流でもあります。

 

法務大臣       殿

 

名前        住所

 

 

 

 

 

 

署名は18歳以上の方にお願いします。名前・住所は自筆でお願いします。住所は都道府県からお書き下さい。

一人一回の署名に限られます。上記の目的以外に個人情報は使用いたしません。

一般社団法人 オークス 

 [事務局] 〒828-0083 豊前市大字岩屋682   tel 080-1786-2182 (荒牧)


添付書

奥本章寛さんへの死刑執行の回避を求める署名活動ご協力をお願いします。

 去る76日と26日に、オウム真理教事件で死刑の確定していた13名の方々に死刑が執行されました。事件の真相解明を遠ざけ、精神的均衡を欠き心神喪失状態の人を執行した事には様々な意見が出されています。何よりもわずか一カ月の間に13名もの方を国の政治的意図や都合でその命を奪った事に強い怒りを感じます。“いのち”に対する国の姿勢をはっきりと見る思いです。
 大きな間違いを犯し、重大な罪を犯してしまった事に必至で向き合い償いへ向けて生きようとしていた方も多かったと聞きます。事件の真相を明らかにし二度と同じような過ちを繰り返さないためにも彼らは生きるべきでした。“いのち”を奪ってはなりません。そして死刑という刑を執行させてはなりません。どんな人にも。

 今回の署名活動は20185月頃から検討されていました。再審請求中の方や裁判員裁判で刑が確定した方に対しても死刑が執行される等、我々は危機感を強めています。 奥本章寛さんに償いの人生を生き抜いてもらうために、そして我々一人一人が“いのち”や“生きること”に向き合うためにもこの署名活動にご協力、宜しくお願いいたします。

 署名は10月いっぱいで集計し11月中に法務大臣宛て提出します。

署名用紙はオークス事務局宛て郵送等で送付してください。

用紙が足りない場合は、恐縮ですが出来るだけコピーで各自確保をお願いします。

注意点は署名用紙一番下の欄を参照願います。

 送付先 〒828-0083

    福岡県豊前市大字岩屋682 一般社団法人オークス事務局

     連絡先電話番号  080-1786-2182 (荒牧)

 

尚、共命鳥13号発送時に同封の署名用紙に不備があり、新しく作成し直しました。

そちらが届いている方には大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。すでに集めた署名があればそのまま事務局宛てにご送付下さい。まだ間に合えば新しい署名用紙をご使用ください。重ねてお詫び申し上げます。

 ご協力宜しくお願いいたします。

201883

                    文責 オークス事務局 荒牧浩二




6月7日 面会にて

 相変わらずなかなかスケジュールを組みにくくて、7日に面会に行くという報せを3日前に速達で出して行きました。拘置所には10時半頃着きましたがすでに26番。待合室にはたくさんの人が座って待っていました。喫煙室でタバコを吸いながらぼんやり外を見ていると、海が近いせいもあるのか、トンビが2羽悠然と空を舞っていました。章寛君もあのトンビを見ているだろうか、見てるとしたら何を思うだろうか?なんてふと思いました。1時間近く待ってようやく番号が呼ばれて、今日は6号室。入って来た章寛君の表情は今日もいつもどうりの笑顔でまずは一安心。ぎりぎり速達は間に会っていました。『今日は15分です』という第一声に続いて、次号共命鳥の原稿を書き上げ、イラストも同封してすでに私のところへ送ったこと、外部交通の次の交流相手(手紙のやり取り)として、岸本さんをお願いした事などを教えてくれました。Mさんの近況を伝えると(お金が必要で毎月の支援金をまとめて半年分欲しいという申し出)『僕には出来ませんが可能ならおまかせしますので、宜しくお願いします』ということでした。総会がすぐに開かれるのでみんなに相談すると伝えました。毎日頑張って作業をしていても一カ月に稼げるのは5000円くらいが限度でそれをすべてMさんに送っている章寛君の気持ちを考えると、すぐに代わりに送ってあげたい気になりますがそれがMさんにとって本当にいいことなのかどうか・・・。
あとはオークスの近況、あの人このひとの近況などを早口で伝えているうちにあっという間に面会終了の時間になってしまいました。いつもながら15分は短いです。

5月8日 面会にて

 連休もあってなかなか日程を組みづらい5月の上旬でしたが、急遽8日に面会に行くことにしました。なるべく月の上旬に面会に行って、現金を差し入れることになっているというのは前にも書いたような気がしますが、念のため理由を述べると、そのお金と章寛君自身が請願作業で稼いだお金をプラスして黒原弁護士経由で手紙を添えて被害者遺族Mさんに送るということになっていて、黒原事務所に送る関係で月の上旬が良い、というのが理由です。ここにも律儀な章寛さんの性格が現れています。出来れば面会に行く前に何時いつ行くからという連絡も欲しい、という事ですのでなるべく前もって葉書等で知らせるのですが、忙しさや、他の用事との兼ね合い、天気との兼ね合い色々あって今回は事前に知らせることが出来ませんでした。
 8日は雨がしょぼしょぼ降り続くぱっとしない天気でしたが、時間には余裕があるとみて初めてまったく高速を使わずに向かったのですが、やはり博多の中心部を甘く見てはいけませんでした。渋滞でなかなかスムーズに進めず都市高速だけは使うべきだったか、と後悔しながら、拘置所に着いたのが11時28分。午前中の面会受付は11時半までなのでぎりぎりセーフでした。今日の番号は32番。午前中の面会者では一番最後でした。12時5分ころに「32番の方4号室へお入りください」とアナウンスが流れました。
 部屋に入ると章寛さんも入って来て、にこっとしてくれましたが、開口一番「今日は10分です」と伝えられました。昼に差しかかってしまった事、こうして面会時間が短くなってしまった事、さらには事前に期日を伝えられなかった事等まとめて詫びました。最後の方で分かったのですが、私が4月は面会後、手紙も出していなかったらしく(自分の記憶では出したつもりだったのですが)そのことを心配してご両親宛てに問い合わせの手紙を速達で出したという事でした。やはり、一日一日の重さや一つ一つのことの重さが違うのだな、と改めて思います。こちらももいろいろ忙しくて・・・というような弁解の余地はありません(笑)ので、そんな弁解だけはいたしません。その他ではうちわ制作の細かいところの話とMさんが苗字を変更するらしい、という事などを伝えましたが、10分というのはさすがに短く何を話すという暇もありませんでした。
 帰ったら出来るだけ早く手紙を書こうと心に決めて拘置所を後にしました。

4月6日 面会にて

 先月に続いて今日も風と雨の中博多へ。早起きをしたので8時半には拘置所に着きました。1番乗りかと思いきやすでに6番でした。待合室には子どが3人(小学生?)いて、珍しい光景でした。春休みで中に居るお父さんにでも会いに来たのかな?どんな会話をするのかな?なんて想像しながら待っていると「6番の方4号室ヘどうぞ」というアナウンス。毎度同じ表現ですが、章寛君笑顔で迎えてくれました。今日はなんといってもKさんとの手紙のやりとりが許可されたことの話題から。活動報告にも書きましたが実際の許可は3月30日におりていたようです。すぐに手紙を書いて、4月2日の朝を待って、発送したことの顛末をうれしそうに話してくれました。そこからKさんの大学時代の恩師でもあり、章寛くんの敬愛する土屋賢二先生の話題になり(私も3冊読みました。哲学者ですが、ユーモアにあふれた方です)しばらく話しが弾みました。それから、今年のうちわ制作のこと。4月中には絵を完成させたいと言ってました。又、今、考えているのが、ある犯罪を犯して今茨城県の日立警察署に収監されている方へのメッセージだとかで、そういうのは是非私にも伝えてくれるよう頼みました。共命鳥の次以降のエッセイが楽しみです。私が来る道みち考えてきたオークスの今後の事なども話すと真剣な顔で聞いてくれていました。(それどころか、それならこの人に会うといいですよ、とアドバイスまでくれて) 20分の面会時間があっという間に終わりになりましたが中身のある20分でした。毎回思うのですが、死刑囚、独居、不自由という環境の中であれだけ精神を健全に保ち前向きに生きるというのは凄いことだなと改めて感じます。章寛君だからこそ伝えられることがきっとあるはずだと思います。それを伝えるのがオークスの一つの役割ですね。章寛君と会っているとこちらの実力不足も痛感します。

3月8日 面会にて

 春の嵐で強風と雨の中、10時半頃に福岡拘置所に着いたのですが、前回同様待合室はがらっがらで、差し入れ現金を手続きして戻るとすぐに『16番の方2号室にお入り下さい」という案内が流れました。すいているせいか、20分の面会時間がありました。
 入って来た章寛さんはいつもの笑顔でした。無事に2月、3月を乗り切ってくれたな、とまずは安堵しました。
2月6日面会に行く予定だと知らせていたのに、2日遅れた事をお詫びすると、『そうなんんですよ、じつは荒牧さんが6日に来ると思って、送金手続きをしてしまいました。今月は25,600円を黒原さんのところに送りました』ということでした。オークスからの差し入れ、プラス自分の請願作業その他で15,600円を作ってその併せた額をMさんに送ったという事です。頑張ってます。ね。私が現在勤めている福祉事業所(ちょうど1年間だけでしたが)を3月で辞めると伝えると『又、奥さんが心配しますね。でもその辺の事分かってくれそうな人ですよね』と、以前1回だけ面会で合った妻の事をそう言ってくれました。
 博多のたんぽぽの会の方々から預かった誕生日のお祝いメッセージをアクリル板越しに見せると、章寛さんは横の立会係官の方をむいて(これは見てもいいですか?)と聞きました。実は3月に共命鳥用のイラストとそれに添えた手紙が内部の事を書きすぎているという事で、発送不許可になる、ということがあったばかりでした。幸い今日の係官の方は親切で自分が確認してしばらく章寛君が見ることを許可してくれました。
 埼玉の石井さんからもバースデイカードその他送られていたのですが、それについては一切の連絡がなかったそうです。(石井さんのところには拘置所から届けることは出来ない、という連絡はあったそうです。)
恩赦と再審請求が進展しているかどうか、本人のところには今のところ連絡はないそうですが、恩赦の方は特に気になるので、黒原さんに法務省に問い合わせて欲しい、という伝言を頼まれました。
 最後に、最近どんな本を読んでいるのか尋ねると、週刊文春?に連載している土屋賢治さんという哲学者の方の本がお気に入りだということと、夏目漱石の”こころ”をこれから読むということでした。

2月15日 章寛さんからの”風の便り”


 面会時間はあっという間に過ぎますね。コーヒーでも飲みながらまったりと話せたらいいのにと思ってしまいます。(コーヒーはブラックかクリープを少々入れて・・・。
寒さは衣類の重ね着と使い捨てカイロ(1袋10個入り=384円)を使用したりして凌ぎます。寒さ対策に薄着になって筋トレを頻繁に行います。高校時代一番重い時93kgでしたが、今は62,5kgでした。
 2月13日で30歳になりました。もう間違いなく”大人”であるとしみじみ思っています。“大人”であると思うのは初めてかもしれません。今までの誕生日とは感じ方が違います。
 Saちゃんの話も嬉しかったです。数年前、Saちゃんが『40代の彼氏がいる』と教えてくれましたが、今回荒牧さんから話を聞き、その方と結婚されたのだろうと思っています。
 Mさんの事はどうか宜しくお願い致します。Mさんの就職とオークスとの関係が良い方向に向くことを心から願っています。
 寒さはもう少しの辛抱だと思いますが、荒牧さんもご自愛ください。

2月9日 面会にて

 9時45分までに一仕事済ませて、大急ぎで博多に向かいました。本当は朝早くに面会に行ってその日のうちに宮崎まで行き、Mさんに久々に会いにいくはずだったのですが、諸般の事情でそちらは延期しました。
高速をとばして、午前中の面会時間ぎりぎりに受付にすべりこめました。番号札25番でしたが、遅かったせいか逆に待合室はがらがらで約20分ほどで面会室に入る事が出来ました。面会室は1号から6号までだったと思いますがその日は初めて2号室に入りました。章寛君はいつもの笑顔でしたが「元気?」と聞くと、「はい、でも寒くてまいります。重ね着するしかないのと自分のお金で貼るカイロを買ってます」ということでした。福岡に移ってから一番の寒さだそうです。この極寒の中でそういう処遇をする必要があるのでしょうか?
それでも、すでに今年のうちわやカレンダーのための絵の制作を始めている事、共命鳥12号用の原稿は既に書いたことなど話してくれました。私の方からは、先日地元で同級生だった女性が子どもを連れて訪ねて来てくれて、カレンダーとうちわを買っていってくれ『頑張って、おうえんしてるよ!』という伝言を伝えました。その娘さんのことはもちろん良く覚えていたので、とても嬉しそうな、懐かしそうな表情でした。前回の共命鳥11号の文章が好評だった事、その感想も寄せられている事、次の原稿をみんな待っているよ、という事も併せて伝えました。面会終了間際にもうすぐ30歳だねと伝えると、何とも言えない苦笑いのような、困ったような表情で扉の向こうに帰っていきました。温かな春と桜が待ちどうしいですね。

1月22日 章寛君からの報せ

 面会時にお話ししましたが、17日に定期転房(4か月ごとに部屋を変えられます)があり、監視カメラの無い部屋になりました。カメラ付き部屋での生活は平成22年3月2日の留置場から始まり、マジメに生活してきた成果がやっとでました。気を緩めることなく引き続きこれまで通りに生活する所存であります。

1月18日 面会にて 監視カメラのない部屋に移りました。

 1月18日、朝7時に家を出て博多に向かいました。9時半には拘置所につきましたので、順番は8番で、待ち時間も30分ほどで面会室に呼ばれました。待っている間に埼玉のIさんが送ってくださっていた写真を30枚差し入れました。(1回に30枚まで)
 今日の面会のビッグニュースとして、なんとほぼ8年振りに章寛君の独房が、監視カメラのない部屋に移ったそうです。昨日の事だったそうで、とても嬉しそうでした。『ようやく、信頼されたのでしょうか?』との本人のコメントでした。理由について確実なことは分かりませんが、悪い方向ではないと思います。(どなたか、何か別の考えがあればご教示下さい)。章寛君にとっては精神的苦痛の一つが取り除かれたような思い、でしょう。考えてみれば我々の日常ではあり得ない事だし、そのことを気にすればそれだけで心が病むような処遇です。冬場のつらい時期に一つの明るいニュースでした。その他でも今日の面会はずっと明るい雰囲気でした。私からはIさんの写真の差し入れの他、黒崎の弁護士さんからの激励メッセージを口頭で伝えたり、福岡のKさんが外部交通を熱望していること、それを実現するための方法など話し合いました。章寛君のところにも差し入れが(一般の方からの切手や現金)わりと多く届いているそうで、その中にお一人全く心あたりのない方がいるそうで、お礼状を書こうにも住所がわからないということで、両親に聞いてみて欲しいということでした。(今のところまだ分かりません。実名を挙げてさしつかえなければここでご紹介したいところですが・・・)
その他、被害者遺族Mさんのことについても話しました。章寛君がMさんに寄せる思いは何があっても揺らぐことは無いみたいです。出来れば1月中に私がMさんに会いに行ければ・・・というところまで伝えました。
時間も20分あってゆっくり話せて有難かったです。


1月15日 章寛君からの報せ

 正月早々に章寛君からの手紙がとどきました。全文紹介というわけにはいきませんが印象的な部分を抜粋してお届けします。

 正月休みは12月29日から1月3日まででしたが、12月30日と1月2日の入浴時は入浴剤が使用できました。元旦の朝食から3日の夕食までの主食が白米飯でした(通常は麦飯)。大晦日の夕食は通常のメニュープラス年越しソバで、元旦の昼食の副食は折詰(おせち)、雑煮、おもち(一口サイズの丸餅4個)、きなこ、でした。通常は20時57分までのラジオ放送が、大晦日の紅白歌合戦は最初から最後まで聴けました。(ラジオ放送は、日付が変わって0時10分頃まで)
 正月休み期間中の支給品(お菓子など)は、12月29日がミカン1個30日がアメ1袋、31日が洋菓子1袋、元旦が米菓1袋、2日が洋菓子1箱、3日がスナック菓子1袋でした。


 章寛君らしく正確に、たんたんと書いてありますが、どんな気持ちで正月をすごしているのか考えると
胸がいたくなります。でもきっと、いい正月を新たな気持ちで迎えたんだと思います。


 12月4日 面会にて

 死刑廃止合宿に来ていた東京のOさんと一緒に、北九州抱樸館を見学させてもらい、その足で拘置所に向かいました。面会時間は15分しかありませんでしたが、いつもにも増して元気な章寛さんと会って話すことが出来ました。カレンダーの販売進行状況、被害者遺族への弁済金のこと、死刑廃止合宿の報告、抱樸見学のこと、Oさんのこと、今模索しているKさんとの外部交通許可願いのこと等、あっという間でした。次号共命鳥11号のための表紙イラストと初めて書くエッセイ?のことなどは特に熱心に(その苦労話を)伝えてくれました。本格的な冬になってくると毎年精神的にも落ち込み気味で心配していましたが、とても健全に元気だと感じました。1月終わりから3月にかけてが一番心配です。切手や現金の差し入れなら名前は章寛さんにも伝わりますので、皆さん、是非差し入れをして一緒に冬をのりきりましょう。

 11月9日 第一次再審請求が9月1日付で却下されていたことが報道(毎日新聞)

 11月9日付の毎日新聞朝刊で再審請求が却下されていらことが、報道されています。新聞によると宮崎地裁が9月1日に請求を棄却していたことを伝えています。理由は「(再審理由となるのは)確定判決が認めた罪より法定刑の軽い罪が認められる場合で、量刑に関する情状を基準とすべきでない」ということだそうです。?これに対して黒原弁護士のコメントとして「死刑は究極の刑罰なのだから量刑を争う再審も認められるべきだ」ということです。
 今一つよく分かりませんが、現在は高裁で審理されているということだと思います。詳細がわかればまたお伝えします。

 11月7日 面会にて

 この日の待合室はそれほど混んでいないと感じたのですが、面会時間は15分しかありませんでした。面会室に入って来た章寛さんの表情はいつもどうりで、にこやかに迎えてくれました。毎度のことながらこの瞬間がドキっとする一瞬で言葉よりもまず、その表情が章寛さんの精神状態や健康状態を感じる時です。今日は章寛さんの方から共命鳥10号に関する感想や意見、要望がありました。まず表紙の横につける(事務局の)コメントは無しにして欲しいということ。これまでに絵の本意や伝えたいこととかけ離れたコメントはないが、もしも全然違うことが書かれると嫌なので・・・ということでした。もちろん了解。その分自分が短くても(400から800字くらい)毎回書きたいということでした。ようやくそういう気持ちになってくれたことを凄く嬉しく思います。
 カレンダーがもうすぐ出来あがるのだが、今日もその見本を持って来れなくて申し訳ない、と伝えると『それはもう
まかせたので、全然構わないです。それより出来あがったものをなんとか絵だけにして差し入れてくれないか」 というのもカレンダーは数字が入っているということで、(脱走計画の暗号?の警戒(笑)らしいです)差し入れ不許可なのです。見せるだけなら出来るけど、当然自分の手元で見たり触ったりしたいですよね。ちなみにうちわも差し入れ不許可です。こちらは官製のものを配給してあるからという理由です。
 そのあとは家族のことや剣道の話しで話が弾みました。実は先日11月3日だったか、剣道の全日本選手権で優勝された熊本県警の西村さんという方が、中学時代に近隣の市町村だったそうで、一緒に練習したりしたことがあったそうです。当時からずば抜けて強かったそうです。それから、私の娘がたまたま現在の中学の部活で、章寛さんの弟さんに剣道部でコーチを受けていること。そのことが先日おたがいにようやくわかって、弟さんい声をかけてもらって嬉しかったことなど。「優勝と言えば、」と今度は野球のソフトバンクの優勝を三人で喜びました。三人?そう、実は横についている刑務官の方もその話題の時にちらっと微笑んでいるのを私はミタ、のです。独居の部屋での数少ない愉しみとしてラジオが夜9時まで聴けるというのもあって、これまでそれほど熱心なファンというわけではなかった章寛さんも、野球中継をよく聴くそうです。(実は私が大ファンだということにかなり併せてくれてもいますが)最後の結果やその時のプレーの細かいところもよく知っていて、それは翌日の新聞を丹念に読んでいるみたいです。なにしろいろんなことをよく知ってます。
 おかげで今日は愉しい会話もたくさん出来た、貴重な15分でした。

11月現在の章寛さんの恩赦と再審の情報

 この間の状況がきちんと把握出来ていなくて申し訳ないのですが、再審については9月中旬ころに第一次再審請求が
宮崎地方裁判所で却下された模様で、現在高裁段階かと思われます。高裁、最高裁においてはあっという間に審理は終了するだろうという見込みで、現在黒原弁護士は第2次再審の準備を進めているそうです。再審の内容については事務局もまだ把握できていません。恩赦の方は却下されたという情報はまだありません。どちらかが常に生きている状態を保持するのだとは思いますが、近日中に弁護士に確認します。

10月19日

 面会に行きました。相変わらずの元気な章寛さんです。但しそれは健康や精神状態を損なってはいないという範囲を超えるものではありません。本人曰く、『ずっと低調さを維持しています』ということらしいです。とにかく現状の処遇を考えればそれだけでも大したものです。一般的に考えるよりずっと過酷な状況を強いられていて、本当に何のための処遇なんだろうか?と改めて思います。

9月30日

 カレンダーの絵が完成。事務局に届きました。今年はいつもに増して熱が入ってます。制作を慣れない事務局が担当するので気を使って早めの完成版を送ってくれました。作者としての細かい注文もけっこう多く(それだけ真剣に打ち込んでいるということです)打ち合わせに面会時間の大半を使うこともありました。


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